クレジットカードの返済地獄に陥っていた話

私が体験したクレジットカードの返済についてお話したいと思います。

初めてクレジットカードを作ったのは20歳の時です。
社会人になったし、クレジットカードでお買い物した方がポイントも付くしお得じゃないかと思って使い始めました。

好きな服を買いたい、好きな家具をそろえたい、化粧品もいいものが欲しい。
新幹線に乗って好きなところへ行きたい。物欲がすごくありました。
旅行先で一目惚れしたものがあればカードで購入、欲しいって思った物はすぐ買っていました。

それでも最初は何とか給料で返せるぐらいでした。その後友達と飲みに行く機会が増えたり
現金で支払わなければならないことが増えてきました。でも私は毎月カードの支払いが給料の半分ぐらいあったため
現金で使えるお金が手元になくなってしまいました。
困った私が使ったのはキャッシングでした。お金が少し足りなくなったら引き出しました。
普通にカード支払いは続ける。給料は返済に使うばかりで手元にお金がない。
でも欲しいものがある。買いたい。今月もカードを使う。その繰り返しで本当は無いはずのお金を繰り返し使っていました。

そんな生活を続けていた時、今の旦那である彼に出会いました。
給料のほとんどを返済にあてていると知った彼はすごく怒りました。

私の金銭感覚がおかしい事に気づかせてくれました。
怖いのは当時の私がその怒られるまで借金している事を自覚していなかった事。びっくりですよね。
自分のお金だと思い使っていました。

彼はその後、返済計画を一緒に考えてくれました。
私も必要最低限の物以外は買わないことにしました。
借金していた額は20万だったので数か月の返済で終わりましたが、もっと額が上がっていたらと思うと本当に怖いです。
今はクレジットカードを封印してなるべく現金で買うようになりました。
そして買う事に関しても慎重になるようになりました。

お金の大切さを教えてくれた彼にはすごく感謝しています。

 

 

 

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自分の体験談

じぶんは現在でありますが32歳の男性会社員をおこなっております。これは20代前半からの話となっております。いつごろから借金をしたのかはもう10年以上前の話となっているので覚えておりませんが、じぶんはギャンブルにはまってしまい、それで借金をしてしまいました。高卒で入社をしたのですが、そのころはギャンブルは本当に金の無駄という認識があり、嫌悪感などがありました。ですが、会社の環境が非常に悪くそれで嫌気が差してしまい、パチンコにのめり込んでしまいました。職場が男性ばかりの職場であり、社員自体を競争させるような環境であったのです。じぶんは大人しい性格であったので、その競争という環境が本当に嫌でありました。それで大人しく仕事をおこなっていると、先輩たちからあいつはやる気がない、会社のゴミなどといろいろとレッテルを貼られてしまいました。自分にも原因があるかと思いますが、それが本当に嫌だったのです。同期入社の社員とも20代後半にはかなりの差がついてしまいました。そのときには借金が200万円まで膨れがってしまい、心療内科にも足を運んでうつ病と診断をされてしまいました。それで27歳のときに心身ともに限界が来てしまい、会社を休職することにしたのです。2年間休職をしてました。それで29歳のとき、復職をして職場に戻ってみると、競争の環境が解消をされていて、じぶんの嫌だった先輩が全員他の職場に移動をしていたのです。おかげで現在はギャンブルからも足を洗うことができ、借金も返済をして、貯金が300万円までできました。もう二度とあのようなつらい思いはしたくありません。

引越し貧乏

僕は引越しで借金をこしらえました。それも自分が望んでした引越しではありません。3年間一緒に暮らした彼女と分かれることになり引越しをする必要性に迫まれました。

ちょうど3月ということもあり、部屋も空いてなくて予算より高いところを借りることになりました。家賃が高いので不動産会社に支払う手数料や敷金・礼金も当然高くなります。手持ちは心もとなかったので、銀行ローンを組みました。

仕事の給料支払い口座のある銀行だったのですぐにお金を貸してくれました。これで部屋代や引越し代を支払うことができました。

でも、今までふたりで生活費をやりくりしていたのがひとりでやらなくてはいけなくなって、僕の生活は圧迫しました。

一人分の給料では生きていくのがやっとです。

自炊ができない自分はエンゲル係数もバク上がりしました。コンビニでご飯を食べていたのですが、1か月もしないうちにこれではやっていけないと気づきました。

スーパーの値引き品を狙うようになったのですが、それでも食費は痛いですね。。。

転職しようとするも、上手くいかず、転職活動をしていることが職場にバレて居づらくなり。。。

はい、終わりました。借金だけが残りました。

生活のための借金ってだめですね。今は実家に帰り弁護士に相談しています。

 

 

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エステからのローン地獄

私は二十歳のときにエステ体験のキャッチに話をされて70万くらいのローンを組みました。
当時の私はフリーターでアルバイトはしていたもののお給料はとても安く生活もぎりぎり。

何度も断っていたのですが、エステサロンは勧誘はしつこく、「無理の無い範囲で出来ますから」「キレイになれますから!」と勧誘してきました。
私はそういう甘い言葉に乗せられてしまいました・・・のちに地獄が待っているとは知らずに。

それからエステに数か月通いましたが、キレイになったというのはエステサロンのスタッフばかりで、友達もアルバイトの仲間も誰も私がキレイになったことに気づきません。

そのことをエステティシャンの方にいうとさらに高いプランへと誘導されました。ああいうセールストークって決まりがあるんだなあと今ではわかりますが、当時の私は小娘だったのでまったくわかりませんでした。

そうこうしているうちにアルバイトのみのお給料では払えなくなって、キャバクラで働くことに。そこにたまたま実家の近所に住んでいる方が接待できて、家族バレしてしまいました。

ああ、バレたんだと思ったと同時にこれでエステ地獄から解放されると感じたのを覚えています。

親に連れて行かれて弁護士事務所の扉を叩いて、債務整理しました。

 

 

 

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為替取引の相場大暴落

デイトレード、スイングトレード、仮想通貨・・・世の中には欲を刺激する言葉があふれています。

そういう言葉に添えられているのはたいていが1発逆転物語です。背景に無数の屍が転がっていたとしても。

私もその屍のひとつになりました。

元手はアルバイトや日雇いの仕事をして100万円貯めた種銭です。まだ若かったので、肉体労働に励みました。25歳になることには目標の100万円になっていたと思います。

それまではゲームの株予想をやっていました。ゲームに飽きたら、実際に株の売り買いはしなけれど、現実世界の株の動きでシミュレーションをやっていました。

10回中6~7回は勝つようになりました。そして相場に参戦しました。

練習はあくまで練習ってことを知らずに。

100万円のうちから20万円までを1度の取引金額にしていたときはちょこちょこ勝ち、資産も増えていました。

あるとき私の資産は500万円を超えました。

自分には才能があると本気で思っていました。

ある日、株雑誌を読んでいると空売りで大きく稼いだ人の話が載っていました。それもまだ私より若い方です。

自分には絶対的な才能があると思っていた私は、自分にできないはずがないと思い空売りをやりました。

そして、失敗しました。

私は自分のルールを破って全財産の50%をつぎ込んでいました。そして空売りの保証金でマイナスになりました。

株での借金なので、どうしようもできません。

もし助けてくれる方がいるなら助けてほしいです。

 

 

借金相談 弁護士 福岡

キッチンドランカーから多重債務になった姉

私の姉は10代で結婚をして子供を産みました。その3年後に旦那さんの浮気で離婚。シングルマザーとなり、高校の恩師の紹介でパートタイムで工場内の事務の仕事に付きました。

しかし、いくら恩師の紹介と言っても意地が悪い人はいるもので、お局さんみたいな方とどうしても折り合いがよくなかったようです。子供が熱が出て早引きするときには嫌味を言われていたようです。

シングルマザーとなった姉は子供と二人暮らしをしていましたが、やはりストレスがたまるようで、お酒を飲むようになりました。晩酌として飲んでいたのが、気がつくと料理中にも飲むように。いわゆるキッチンドランカーというやつですね。

ひとりで育児するプレッシャー、会社でのお局様との諍いなど精神的にまいっていたようです。うちの親も年をとっていたので、相談もできなかったようです。

お酒を飲み、仕事が手につかなくなり、だんだんと休みがちになって収入が減っていたようです。パートタイムをしている間にサラ金でもお金を借りていたようです。サラ金にお金が返せなくなると違うサラ金を紹介されて、どんどんと借金は雪だるま式に増えていきました。

姉は多重債務に陥ったのです。

工場から恩師に休みがちという連絡がいって、心配になって連絡が入り、借金が発覚しました。その後、恩師が姉の借金問題を解決してくれて良い仲になり、再婚の流れになりました。

恩師と言っても姉と10歳くらいしか離れていないので、お似合いだと思います。

部屋代より高い家具に囲まれて

私は昔から家具が好きで、特にアンティークには目がありませんでした。

衝動買いも度々ありました。アンティークなのでそのときを逃したら次に行ったときは手に入らないこともあるので、クレジットカード払いをしていました。

ボーナスも家具のカード払いでほとんど消えていたと思います。ボーナスの額はだいたい把握していたので、ボーナス以上の買い物はしないようにしていましたが誘惑には勝てませんでした。

どうしてもほしい椅子があり、店員さんもリボ払いしてるということで、リボ払いに手を出してしまいました・・・これがのちのち私の首を締めることになるとは知らずに。

家の賃貸料より高い家具を揃えていた私。今思うと何をやっていたんだろうとひとりごちてしまいたいくらいです。

リボ払いは一度やってしまうと次から次へとやってしまい、あっというまに限度額まで達しました。

払っても払っても元本は消えずにずっと残ったままです。ほしい家具も買えなくなり、利息を払うためだけに生きているような毎日。

財布を開いてもお金はなく、口から出るのはため息ばかり。

そんなときたまたま市報がポスティングがされていて、無料で弁護士に相談できることを知り、わらにもすがる思いで電話をかけました。

それからはトントン拍子で弁護士さんに言われるままに資料をそろえて、無事に債務整理が完了しました。

今ではクレジットカードはすべて解約(というより向こうから切られました)して自分の収入の範囲で生活しています。

あのとき勇気を出して電話してよかったなあと今でも思っています。