趣味のオーディオ集めから借金

普段からの素晴らしい人生の中で重要な考え方はいかにして健全で快適な金銭生活のもと素晴らしい方法での人生を送っていけるかどうかを考える事ではないのでしょうか。素敵な普段からの生活の中で重要な感が変え方はそのような中でいかにして無駄なくそして無理なく素晴らしい方法での自分らしい趣味の時間を楽しんでいく事を考える事ができるかどうかではないのでしょうか。私の友人もそのような中でオーディオ機器には大変うるさいオーディオマニアです。家でのスピーカーやまたヘッドホン等、ありとあらゆる機器を自分好みのものにする事で普段からの生活を楽しんでいます。そのような彼ですから必然的に大変多くの出費が生活の中でかさんでいくのです。その中でもやはりきちんとした方法での普段からの金銭管理等をする事は重要です。普段からの自分らしい人生の中での収入やまた多くのお金を大切に扱っていく中できちんとした方法でのお金の管理をする事は素晴らしい人生の中でももっとも重要な方法となります。時には数十万円もするような機器を気軽に購入をしていてはやはり自分の大切な金銭をあっという間になくす可能性も十分に考えられるのです。そのような事のなきように普段からの生活の中できちんとした方法での金銭管理を行っていく事が健全で素晴らしい人生を考える上でも重要な事となるのです。折角購入した貴重な商品ですが、彼は最終的には売却を行って自己破産前に金銭を作りました。

自分は大丈夫との思い込み

私は2年生の専門学校卒で、無事就職活動も終え、20代前半には俗にいう大手企業へ晴れて就職を果たしました。
仕事も慣れてきた25歳になった時、とあることがきっかけで思いもしなかった借金地獄の生活を送ることとなりました。
正直私は周りの友人などに比べてもそこそこ給料は良く、それほど物欲もなかったので就職して3年が経つ頃には貯金が数百万ありました。
そんな普通の生活を送っていたところ、とある友人の誘いで私の生活は崩れ去りました。
最もオーソドックスなのですが、いわゆるギャンブルです。友人の誘いでパチンコ屋に初めて行ったとき、ビギナーズラックなのかその一日で5万勝ってしまったのです。
今思えばそれが崩壊の始まりでした。それからギャンブルにどっぷりはまってしまい、週に1.2回程度パチンコ屋に行く日がありましたが、最初の1年間は調子が良く、年間では10万程プラスだったと思います。人間味を占めれば怖いもので、段々パチンコ屋に行く日数も増えてゆき、仕事が休みの日はほぼパチンコ屋に通っていました。
もちろんギャンブルというのは負ける日もあるのが現状です。調子が良かったギャンブルをやり始めた1年間が脳裏によぎり、歯止めが利かなくなった私は1日に大負けしても「次はきっと取り返せる!」とバカなことを考えながらパチンコ屋に入り浸る日々を続けていると、25歳になった頃には貯金も使い果たし、消費者金融で借りた200万の借金を背負っていました。
最終的に何が言いたいのかというと、よくテレビなどで見かけていた「ギャンブル依存症」は完全に外から見ていた立場であり、絶対に自分はそんな風にはならない、やったとしても歯止めが利く。と思っていたことです。
ギャンブルは絶対に手を出してはいけません。

身内から借金をしてはダメ!

私の兄が運送会社を経営しているのですが、会社を起こす時に子供の頃可愛がってもらった叔父に借金をしました。私は嫁いでいたので借金の事は問題になるまでは知りませんでした。兄の頑張りで会社は順調に業績を伸ばしていきました。

ところがある日どこで調べたのか私の携帯に叔父から連絡があり、会う約束をしました。大事な話があるというので一体何だろうと思い出かけました。そこで兄が叔父から借金をしている事を知りました。しかも2度も。それを全く返済していないので、妹の私から話をして欲しいという事でした。私は愕然としました。兄が自分で1から築いた会社だと思っていたのに。知らない所でそんな事をしていたなんてショックでした。

兄に連絡をすると「あの金は叔父さんからもらったから返さなくてもいいと思ってた」と言うのです。二人の言う事がまるで違います。実家の母に連絡をとると「援助してもらったからそのままでいいのよ。あんたにそんな話をするなんて困った叔父さんだよ!」としまいには怒りだす始末なのでした。

それから2年位両者は揉めました。私まで巻き添えをくらって叔父から大きな封筒が届き、長々と記された手紙や兄のために銀行からお金をおろした通帳のコピーやら証拠の書類が入っていました。最後には「頼りになるのは〇〇(私の名)しかいないから説得して欲しい」と書いてありました。そんな封書が何通も来るし、携帯は何度も着信あるわで私もくたびれてしまいました。

兄も見るに見かねて叔父にお金を全額返しました。これで一件落着とホッとしていました。するとまた手紙が届いたのです。「金を返せばいいという気持ちが許せない」というのです。電話か直接に「お金を貸して下さってありがとうございました」のような挨拶がなくて気に入らないと言うのです。一難去ってまた一難状態です。

兄と母が「もう放っておいていいから」と言うので私もこちらの家族なのでちょっと叔父さんの言うことも間違いじゃないよな、と思いましたが心を決めました。しかしその1年もしないうちに叔父は病気で亡くなりました、兄も母も葬儀は行かないというので私も合わせました。これがきっかけで叔父家族そして親戚から離れる事になってしまいました。父のお墓参りも気軽に行けない状態です。身内からお金を借りるとろくな事がありません。

消費者金融で借金をしたものの途中で返済不能になった話

20代前半の頃、自分はギャンブルであるパチスロにのめり込んでいました。当時のパチスロはギャンブル性が高かったし出るときはすごい爆裂して何度かいい思いをしたことに味をしめていた自分がいました。毎日のようにパチンコ店に足を運んでいくうちにどんどん負けがかさんで貯金までも崩してしまう羽目になってしまったんです。そんな目にあってもパチスロがやりたかった自分は、消費者金融のCMを思い出しました。友達にも親にもお金を貸してほしいなんて言えなかったし、正社員でなくても収入さえあれば無担保で借りられるって内容に惹かれました。その時、自分は派遣社員でしたが大手の消費者金融の無人契約機で審査を受けたところものの30分で審査が簡単に通ってしまったのです。無担保で50万円の限度枠の融資を受けることができたのだが、その融資金額で銀行のATMのようにお金を出し入れしては、パチスロの軍資金として毎日のようにパチンコ店に向かい豪遊してしまいました。ところが、派遣契約から2年ぐらい経った後に、派遣先の業務不振の影響で派遣社員の解雇の通知を受けることになってしまったんです。消費者金融の金利はグレーゾーンギリギリの高金利だし無収入に陥ってしまって返済のメドが全く立たなくなってしまいました。しばらく放置して最終的に200万円くらいに膨れ上がった借金をなんとかすべく自分は弁護士に相談をしに行き民事再生という法的手続きをすることになりました。この手続きをすれば借金を5分の1にでき信用情報に傷がつくけど、毎月返済3万円で済むのでコツコツアルバイトをしながら元金を減らしていき最終的に完済することに成功できてよかったですね。

 

弁護士 債務整理 福岡

借金問題

「借金問題」と言ったら、私は昔海外旅行でお土産を買い過ぎた時を思い出します・・・。
海外ブランドを買いまくって、気づけば七ケタの借金(カード払い)。それも社会人になる前の、22歳の若い小娘が・・・。
日本に帰ってきて、一気に現実に気付き、買ってきたブランド品を全部売って、バイトをしてどうにか借金を返しました。

そもそもこの借金の要因の一つは、A美というフランス通の知人。
あれは大学の卒業旅行の時。いつもは安いアジア旅行ばかりでしたが、この時ばかりは記念にと憧れのフランスに行きました。
仲良し三人の女友達の中に、「フランスは詳しいから任せておいて」と言って後から加わったのがA美でした。
「それは助かるー」「おいしい店行きたいのー」と私たちは口々に言って、A美の参加を喜びました。

A美とのギャップは空港で会った時から現れていました。
私たちはスニーカーにカジュアルな服装、彼女はヒール靴とブランドニットのワンピースで来ました。
「パパに友達とフランスに行くと言ったら心配して、飛行機をアップグレードしてくれたの。だから、私だけビジネスで行くわね。現地で会いましょう」と言って、颯爽と去っていきました。
唖然とした私たちですが、思い出せば彼女はいつもブランド物を持っていることをやっと思い出しました。

それからフランスでの彼女は買い物三昧。英語もフランス語もできない私たちは彼女について行き、思わず勧められるがままに買ってしまう時もありました(やっぱりフランスのお店は素敵でしたから・・・)。それで気づけば七ケタの借金。日本に帰ってきたらレートが悪くなっていたのも関係していますが、本当に明細を見て血の気が引きました。

買ってきたブランドの素敵なバッグ、財布、スマホケースを、泣く泣く全部質屋に。それでも、最新作を買っていたわけではないのでフランスで買った金額にはならず、元のバイト先にお願いをして、バイトをしました。

もう雰囲気には飲まれまい、と思った出来事でした。

借金に縛られた10年間

20代の頃に遊ぶお金が足りなくて、安易に消費者金融を利用してしまいました。
最初は1社で50万円でしたが、無人契約機で手続きを行ったので、後ろめたさはありましたが自分が借金をしたという感覚がありませんでした。
自分で汗水流して稼いだお金では無いので、50万円はあっという間に無くなってしまいました。
2社目に申し込むと、こちらもあっさり限度額の50万円まで貸してくれ、借金をする事に抵抗がなくなってしまいました。
そしてやはり自分のお金という感覚が無いので、瞬く間に無くなってしまいました。
そうなると3社目、4社目と借金を重ね、気付くと5社から400万円を借金することになってしまいました。
当時の手取りが20万円そこそこで、給料の大半は借金の返済になっていました。
手元に現金が必要な時は利息と最低限の元金だけを返済していたので、いつまでたっても借金が減りませんでした。
30歳になり、そろそろ結婚を意識し始めたのですが、相変わらず借金は400万円近くあり、これではとても結婚は無理だろうと
現実から目を背けていました。
そんな中、大学の同窓会で酒に酔った友人が
「実はキャバクラにハマって、サラ金から金を借りちゃったんだよね」という話をしていたので、よくよく話を聞くと
「サラ金は金利が高いから、クレジットカードでキャッシングをして一括で返済した」との事でした。
そういうやり方もあるのか、と思い自分も同じやり方をして、消費者金融1社を完済し、二度と借りれないようにカードを切断して捨てました。
しかし借金の総額は変わらず、新しい服や欲しいものが買えない生活が続き、
いつになったらこの返済地獄から抜け出せるのだろうかと、日々、下を向いて歩いていました。
最初の借金から10年が経った時、会社が別の会社と統合することになりました。
給与面は変わらないとの事でしたが、自分の会社は吸収される側の会社だったので、退職金が支払われることになり、
試算表が配られました。
それによると勤続年数から借金の額より多い退職金が支払われるとのことだったので、
大切なお金でしたが、会社も新しくなる事だし、今までの自分は死んだものと思い、退職金で残りの借金を一括返済しました。
気付くと30代半ばでしたが、やっとお金の大切さに気が付きました。
それ以来、ETCカード以外のクレジットカードも使わず、自分の持っている現金だけでやりくりする生活を送っています。

クレジットカードの返済地獄に陥っていた話

私が体験したクレジットカードの返済についてお話したいと思います。

初めてクレジットカードを作ったのは20歳の時です。
社会人になったし、クレジットカードでお買い物した方がポイントも付くしお得じゃないかと思って使い始めました。

好きな服を買いたい、好きな家具をそろえたい、化粧品もいいものが欲しい。
新幹線に乗って好きなところへ行きたい。物欲がすごくありました。
旅行先で一目惚れしたものがあればカードで購入、欲しいって思った物はすぐ買っていました。

それでも最初は何とか給料で返せるぐらいでした。その後友達と飲みに行く機会が増えたり
現金で支払わなければならないことが増えてきました。でも私は毎月カードの支払いが給料の半分ぐらいあったため
現金で使えるお金が手元になくなってしまいました。
困った私が使ったのはキャッシングでした。お金が少し足りなくなったら引き出しました。
普通にカード支払いは続ける。給料は返済に使うばかりで手元にお金がない。
でも欲しいものがある。買いたい。今月もカードを使う。その繰り返しで本当は無いはずのお金を繰り返し使っていました。

そんな生活を続けていた時、今の旦那である彼に出会いました。
給料のほとんどを返済にあてていると知った彼はすごく怒りました。

私の金銭感覚がおかしい事に気づかせてくれました。
怖いのは当時の私がその怒られるまで借金している事を自覚していなかった事。びっくりですよね。
自分のお金だと思い使っていました。

彼はその後、返済計画を一緒に考えてくれました。
私も必要最低限の物以外は買わないことにしました。
借金していた額は20万だったので数か月の返済で終わりましたが、もっと額が上がっていたらと思うと本当に怖いです。
今はクレジットカードを封印してなるべく現金で買うようになりました。
そして買う事に関しても慎重になるようになりました。

お金の大切さを教えてくれた彼にはすごく感謝しています。

 

 

 

福岡の借金問題解決に強い弁護士

自分の体験談

じぶんは現在でありますが32歳の男性会社員をおこなっております。これは20代前半からの話となっております。いつごろから借金をしたのかはもう10年以上前の話となっているので覚えておりませんが、じぶんはギャンブルにはまってしまい、それで借金をしてしまいました。高卒で入社をしたのですが、そのころはギャンブルは本当に金の無駄という認識があり、嫌悪感などがありました。ですが、会社の環境が非常に悪くそれで嫌気が差してしまい、パチンコにのめり込んでしまいました。職場が男性ばかりの職場であり、社員自体を競争させるような環境であったのです。じぶんは大人しい性格であったので、その競争という環境が本当に嫌でありました。それで大人しく仕事をおこなっていると、先輩たちからあいつはやる気がない、会社のゴミなどといろいろとレッテルを貼られてしまいました。自分にも原因があるかと思いますが、それが本当に嫌だったのです。同期入社の社員とも20代後半にはかなりの差がついてしまいました。そのときには借金が200万円まで膨れがってしまい、心療内科にも足を運んでうつ病と診断をされてしまいました。それで27歳のときに心身ともに限界が来てしまい、会社を休職することにしたのです。2年間休職をしてました。それで29歳のとき、復職をして職場に戻ってみると、競争の環境が解消をされていて、じぶんの嫌だった先輩が全員他の職場に移動をしていたのです。おかげで現在はギャンブルからも足を洗うことができ、借金も返済をして、貯金が300万円までできました。もう二度とあのようなつらい思いはしたくありません。

引越し貧乏

僕は引越しで借金をこしらえました。それも自分が望んでした引越しではありません。3年間一緒に暮らした彼女と分かれることになり引越しをする必要性に迫まれました。

ちょうど3月ということもあり、部屋も空いてなくて予算より高いところを借りることになりました。家賃が高いので不動産会社に支払う手数料や敷金・礼金も当然高くなります。手持ちは心もとなかったので、銀行ローンを組みました。

仕事の給料支払い口座のある銀行だったのですぐにお金を貸してくれました。これで部屋代や引越し代を支払うことができました。

でも、今までふたりで生活費をやりくりしていたのがひとりでやらなくてはいけなくなって、僕の生活は圧迫しました。

一人分の給料では生きていくのがやっとです。

自炊ができない自分はエンゲル係数もバク上がりしました。コンビニでご飯を食べていたのですが、1か月もしないうちにこれではやっていけないと気づきました。

スーパーの値引き品を狙うようになったのですが、それでも食費は痛いですね。。。

転職しようとするも、上手くいかず、転職活動をしていることが職場にバレて居づらくなり。。。

はい、終わりました。借金だけが残りました。

生活のための借金ってだめですね。今は実家に帰り弁護士に相談しています。

 

 

債務整理 北九州

エステからのローン地獄

私は二十歳のときにエステ体験のキャッチに話をされて70万くらいのローンを組みました。
当時の私はフリーターでアルバイトはしていたもののお給料はとても安く生活もぎりぎり。

何度も断っていたのですが、エステサロンは勧誘はしつこく、「無理の無い範囲で出来ますから」「キレイになれますから!」と勧誘してきました。
私はそういう甘い言葉に乗せられてしまいました・・・のちに地獄が待っているとは知らずに。

それからエステに数か月通いましたが、キレイになったというのはエステサロンのスタッフばかりで、友達もアルバイトの仲間も誰も私がキレイになったことに気づきません。

そのことをエステティシャンの方にいうとさらに高いプランへと誘導されました。ああいうセールストークって決まりがあるんだなあと今ではわかりますが、当時の私は小娘だったのでまったくわかりませんでした。

そうこうしているうちにアルバイトのみのお給料では払えなくなって、キャバクラで働くことに。そこにたまたま実家の近所に住んでいる方が接待できて、家族バレしてしまいました。

ああ、バレたんだと思ったと同時にこれでエステ地獄から解放されると感じたのを覚えています。

親に連れて行かれて弁護士事務所の扉を叩いて、債務整理しました。

 

 

 

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