自分が社会人になりすぐの事でした。昼間はパートタイムでバイトをして、夜は定時制の学校に通学していました。
その時は実家暮らしで家賃はなく携帯代と学費たまに買う服代ぐらでしかバイト代を使うことはなく月に少なくとも5万は貯金していました。
貯金も20万程ありました。しかしバイト先の四つ年上の女性と付き合い始めてから生活がガラッと変わりました。
付き合い始めて三か月程経ったあるデートの日に彼女からこんな提案がありました。「たまには行った事ないとこに行ってみない?」
彼女の言うがままに付いて行くと、そこはパチンコ店でした。自分はそれまで「パチンコに金を使うなんてもったいない、何が楽しくてお金を減らさなきゃいけないんだ」
という考えの人間でした。少し戸惑いながらも彼女に付いて行き、彼女の隣に座りよくわからないまま5万円がなくなり、まぁこういう物なんだなと思いその日は終わりました。ですが、次のデートもパチンコ店に連れていかれました。今回は彼女の隣が空いていなかったので、自分で代を選び打ちました。
ビギナーズラックなんてものはならず、同じ台をずっと回していれば出るのだと思いまた10万程同じ台に突っ込んでいました。
こんな日々を何度か続けるとあっという間に貯金はなくなり、彼女に勧められるまま消費者金融に行きお金を借りていました。最初は20万だった借金は最終的には100万円に膨れ上がっていました。彼女と別れ借金だけ残った自分はギャンブルを必死にやめ、定時制が終わった後にもバイトを入れ、年死に物狂いで働きました。残り20万まで返し終わるのに4年かかりました。残りの借金は親に借り完済に至りました。もう二度と借金はしたくないと思いました。
顔も名前も知らない誰かの借金を支払った話
10年以上前になるが当時私の姉に彼氏がいた。母子家庭で育った姉の彼氏には母親と妹が一人いた。妹は心を病み、買い物依存になり、仕事を辞めて母親と二人で暮らしているそうだった。そして姉の彼氏が妹の買い物依存による百万円ほどの借金を肩代わりすることになった。しかし姉の彼氏は安月給で貯金もない。そこで何故か姉が消費者金融で借りた百万円を彼氏に貸すことになった。それからしばらくして私たちの両親が不仲による離婚をしたため、姉と母は実家を出ることになった。実家にいた犬を連れて出て行くので、アパートではなくて庭のある小さな借家を借りて暮らすことになった。ここで問題が発生した。借金のある姉では借家の入居条件を満たせないとのことだった。そこで結婚して家を出ていた私に援助のお願いの話がきた。入居できないと母も行き場がないので、毎月2万円ずつ返済する約束で私は姉にお金を貸すことにした。姉と二人で銀行に行き百万円をおろし、消費者金融に全額返済し、不動産屋へ行って入居の手続きをした。それからしばらくは返済があったりなかったりで、結局は20万円ほどの返済があったきり滞った。その間に姉は彼氏と別れた。彼氏と姉との間の借金はうやむやになった。その後母が病に倒れて入院中に、姉が母の年金を勝手に引き出して使い込んだことが発覚した。私は姉に対する信用を失い、母の葬儀後はお互いに連絡を絶った。姉と姉の元カレを間に挟み、私は顔も名前も知らない人の借金を返済させられたのが今もモヤモヤする。
実家の両親の体験
私の実家は、昔ながらの浮腫が強く残っており、お隣さんの家に何の躊躇もなく入り込むことができるオープンスペースと言う感じです。しかしながら、お金についてはきちんと管理をしていた我が家なのですが、どうしても近所の方から100,000円を貸してほしいと言われ、やむなく貸してしまったことがあるそうです。我が家はお金に苦労していないということも見えていたからだと思います。このときの主体者は母親で父親は知らなかったそうです。しかしながら、その近所の方からお金がなかなか戻ってこないことがわかる、母親は父親に相談したところ、なんとなくわかっていた模様で、お金を貸したりしてようですんなりと話をしたそうです。
しかしながら、近所の方は同じようにまたお金を貸してくれると思ういい、母親にお金を貸してほしいと、またお願いをしてきました。近所の付き合いもあり、なかなか断りづらいところだったのですが、もともと1人お金が返ってきていない状態で、さすがに追加でお金を貸し出すことができませんとしっかり話をしたところ、さすがにひき下がったようですが。結局、ここから私が学んだのは、プライベートでお金の貸し借りをした時は、どうしても馴れ合いの関係になってしまい、明日はお金が戻ってこない前提で考えなければいけないと言うこと。ですから、私は100円であろうとも200円であろうともお金を貸す時は戻ってこない前提で話をしますし、人にお金を借りる事は一切しないようになりました。
苦しかった借金開催への道のり
20歳のころ、パチンコで借りた1万円を返すのに、急に催促されたためお金がなくて1万円だけのつもりで消費者金融からお金を借りた。その時は何にも考えておらず、その後何年にもわたり苦しむことになるなど想像もしなかった。
借金ということは頭ではわかっていても、銀行口座から引き出すか、人のお金のように引き出しては、遊びに使ったり、ギャンブルをしたりと自由に使っていった。その結果限度額はすぐにいっぱいになってしまい、返済にも苦しむようになった。
そして違う消費者金融からお金を借りるようになり、また懲りずにそこからお金を借り続けた。
最初は50万円くらいあった限度額も何社目からかは20万、10万と減額されていき、あっという間に200万円を超え、4社から借入するなどどうにもならない状況となていた。
誰にも相談することも出来ず、不安な日々を過ごす一方で、恋人などにも言えないまま、普通の生活を続けていた為、借金を減らすことは出来なかった。
ある日どうしても返済のお金を用意することが出来すに、悩んだ挙句、親に打ち明けることとなった、罪悪感があったが、心は少し軽くなり、約3分の一程度立て替えてもらい、残りもコツコツと返すことを約束する。しかし、使えるようになった限度額を少しづつ使ってしまい、結局また限度額いっぱい借りてしまった。
結婚の話も出てきて、お金を貯めるということになったが、貯めるどころか返済も出来ずに結局すべて彼女に話すことに。
話をするのは怖かったし、これからどうなってしまうのかを考えると怖かったが、返済に向けて協力してもらえることとなり、自分としても吹っ切れたところもあり、それから1年かけて節約生活を続けながら、無事に完済をして結婚をしました。
大変なことよりも、気持ちが軽くなったことで生活も楽になり、結婚してからは自分のお小遣いの中で遊びながら楽しく生活できています。
国際ロマンス詐欺の悲劇
私はもともとうつ病の既往があり、経済面も仕事面も安定していません。 8年間うつ病を患っているので、貯金もほぼない状況です。 しかし、うつ病についてや仕事について相談できる友人はおらず、いつも不安とさみしさを抱えていました。 そんな私がTwitterで出会った男性はドイツ人の男性でした。 もともとは趣味の話で盛り上がっていたのですが、徐々に親しくなり、LINEを交換して直接連絡を取り合うようになりました。 彼は静岡在住、私は横浜在住ということもあり、頻繁に会うことはできません。 はやり病の影響もあり、外出自体が自粛ムードの中、毎日のLINEでのやり取りは私にとっての心の支えであり、楽しみでした。 そして、実際に会う前に私は彼に恋をしていました。 だからこそ、彼のために何でもしたいと考えるようになりました。 最初は「はやり病の影響で会社をクビになってしまった」と言われました。 生活費と家賃として毎月10万円を振り込むようになりました。 うつ病が安定しない私はパートの仕事をしており、1か月の手取りは20万円ほどでした。 彼への振り込みはきついものでしたが、「彼のためならば」、と自分の生活を切り詰めて生活をしました。 そのうちに「今まで日本で7年間生活してきたけれど、住民税を支払ったことがなかった。その請求が一度に来た」と言われました。 本当のことだったのかうそだったのかはわかりませんが、役所からの書類の写真が添付されていたので、私は彼を信じ、滞納していた住民税と遅延料金を合わせ、300万円ほどを用意しました。 しかし、300万円もの貯金はありませんでした。 銀行カードローンと消費者金融からお金を借り、300万円を用意しました。 他にも、「スマホが壊れたので君と連絡が取れるように新しいものを買いたい」「家にエアコンがないので、毎日体調が悪い」など、新しいスマホを買うためのお金とエアコンを購入するためのお金も消費者金融から借りました。 結局、借金は400万円にもなりました。 うつ病の影響で仕事を増やすことはできず、返済に対して絶望的になりました。 ところが、彼は「お金を払ってほしいと言った覚えはない」と私が困っていても助けてくれようとはしませんでした。 それどころか、「日本ではもう生活できない」と私にはなにも告げずにドイツに帰国してしまいました。 私には借金だけが残りました。 自分では返済できない、けれど借金ができてしまった子音をだれにも相談できない、と弁護士に相談しました。 債務整理には3種類ありましたが、任意整理以外は裁判所の介入があり、家族にも借金がばれてしまうとのことでした。 任意整理では個人再生や自己破産に比べて高額な返済を数年続けなければなりません。 しかし、誰にもばれずに借金を返済するためには任意整理しかありませんでした。 そこで任意整理を選択し、現在も月に13万円を返済しています。 うつ症状が悪化することはあるものの、自殺すれば両親が借金を負わなければなりません。 「うつ病がつらい」と言っている余裕もなく、とにかく働いています。 日勤でバイトをした後に夜勤のバイトに行く、という生活を続けています。 現在3年目ですが、まだまだ300万円近い借金が残っています。 この生活があと5年近く続くと思うと絶望的な気分になります。 しかし、絶望している暇はありません。 とにかく働くしかないのです。 日勤バイト・夜勤バイト、そして家ではこのクラウドワークスで仕事をしています。 1日も早く借金を完済すること、それが今の私の人生の目標であり目的です。
学生がエステサロンで契約した末路
友人が学生時代にエステを契約し、後に支払いができなくなり、両親に肩代わりしてもらった話です。 ある日、友人が「エステを契約した」とうれしそうに話してくれました。毎月2万円ほどで、自分の好きなエステを受けられるそうです。そのように聞いた私は、てっきり月額が決まっている、いわゆるサブスクなのかと思っていました。エステにあこがれを抱いていた私は、不要になったらいつでも解約できるのだろうし、それなら私も契約してみようかなと、安易に考えていました。 ところが、実際はサブスクではなくローンを組んでいたようです。しかも、そのエステサロンが悪質だと感じるのは、約20万円のローンを別々の会社から3本契約させていました。それも、知識などほとんどなく、仕組みを理解できていない学生相手に。 しばらく、私もそのことはすっかり忘れていたのですが、数年経ったある日、その友人が頭を抱えていました。理由を尋ねると「あの時契約したエステ、全然行ってないし払うのも大変だから解約したいのに、問い合わせたらもう解約できないと言われた」と言うのです。解約可能な期間や、ローンの仕組みなど重要なことは契約時に説明があったのかもしれませんが、理解できていないままの学生相手にあまり褒められたものではないですよね。友人も友人なのですが、その時点で残金がいくらなのか、利息はいくらになるのかなど、まったく把握できていないようでした。そして、返済が滞っていたために友人の個人信用情報は傷ついてしまいました。 結局、冒頭でもお話ししたとおり資金は両親が肩代わりしてくれて、3本のローンは完済できたそうです。
借金の始まり
借金の始まりは、ちょっとした事からでした。 ポイントがたまるの言葉につられて、クレジットカードを作ったことから始まります。初めて作ったこともあり、限度額が50万円でした。 早速、洋服を買ってみました。すんなり購入できました。それから、ポイント貯まるからと食品などほぼカード払いしていました。 初めての支払額に驚きました。10万円近い支払いがきました。 一人暮らしなのもあって、10万円払うことは無理でした。 支払額うを計算しながら使っていれば、途中で分割に変更も可能だったのに、請求書が届いてからでは変更不可能で、払わなければいけない状況でした。 生活費もクレジット払いにしようにも、変更は次回からとなり、結局今月の分は引き落としでの対応でしか出来ないと言われてしまいました。 仕方ないので、キャッシングをしてしはらいました。 それもリボ払いで。月々の支払いが楽な上、初回は何とか支払えてホッとしました。 それからリボ払いにてクレジットカードを使うようになりました。月々の支払いが少ないので、どんどん使っていると、あるとき使えなくなりました。 月々少ない返済なので、残額が全然減っておらず、限度額オーバーになったのです。 金利など考えず、限度額オーバーになったことで、また新たにカードを作りました。またリボ払いにて購入を続けた結果、また限度額に達してしまいました。 2枚のカードをマックスまで使った時点で、利用可能額であっても使用できなくなったのです。 支払いは遅れていませんが、リボにしすぎた事が原因と思われます。 それから返済のみのカードとなり、復活することはなかったです。
連帯保証人
私の夫はそれなりにお給料をもらえる会社に勤めていることもあり、金銭感覚がずれていると感じる場面が多々ありました。 しかし、給料の範囲内で趣味などにお金をかけているため、金銭感覚がずれているよ。という程度で特に使い方について注意もしていませんでした。 しかしある日、何の前触れもなく急にお金を少し貸してほしいと言われました お金を貸すのはいいけどお金ないの。と聞いたら、ない。と返ってきました。 お給料に対して普段の趣味などを考えたら、そんなに使うかなと疑問に思い、その後も色々質問したり話を聞きました。 すると後々、連帯保証人になったという言葉が返ってきました。 近くで連帯保証人になる人がいるんだ。と言葉が何も出てきませんでした。 しかし、理解してからは、誰にいつどういう状況で連帯保証人になったのかと気になることがたくさん出てきて全て聞くことにしました。 全て話を聞き終わってからも、あまりの話の内容に呆れていました。 連帯保証人になった人は家族や親友ではなく、知り合いの知り合いでした。 私にとってはあり得ない話で、呆れて言葉がでませんでした。 元々貯金をしてお金があったわけでもなく、あり得ないなと思い、苛立ちさえ覚えました。 結局、債務者が逃げて連絡がつかず、300万の借金を肩代わりすることになりました。 今も毎月少しずつ、自分たちには関係のないお金を返済し続けています。もう一年以上経ちますが、今でも思い出すたび呆れてしまいます。
つい最近の私が直面している借金問題について
あと1ヶ月くらいで返済する借金の話をしてみたいと思います。 軽く私の状況なのですが、もうすぐ41歳を迎える双極性障害(そう鬱病)を抱えて生活しています。 見た目は誰からも障害者とは思われたことがありません。薬を飲むことで副作用や集中力低下などを乗り越えて、精神障害の働く就労継続支援という施設で働いています。 今、働いている職場での給料は、最低賃金より少ない賃金です。実家暮らしで自分のことだけ考えると、生活費を入れるはほどの余裕はありません。 私が借金する以前から、金銭面は家族それぞれ困りながらも何とか生活を送っていました。 両親も定年退職を迎えて、やりくりが大切になって来た時に私個人も家族に手助け出来るようになりたいと考えていました。 なんとか乗り越えて生活しつつですが、母は私が幼い頃からお金がないが口癖でいつも言うのです。 私は何度もお金がないと言う言葉からとにかく稼がなければ行けないと思い、当時Webライティングを独学でやり始めました。 その後も母のお金がないと言う口癖を本気で信じて焦りました。私は何とか稼ぐ必要があると考えてWebライティングのコンサルタントをクレジットカード払いで分割払いにしました。 勉強すれば努力は報われるって、後先感考えずに誰にも相談せず、ライティング生活が始まります。 自分は稼ぐから借金にはならないと根拠の無い判断でした。でも、クラウドソーシングをやってみると期日があるから、報酬どころか案件の締切に追われます。 金銭面では隠せないくらい借金が見え隠れしました。 そんな時、私の主治医から国民生活センターの電話相談をしてもらい、何度も文章を添削してもらっては書き直して借金の3分の2まで返金要求を相手方と合意。 しかし、足りない金額を私が返せている訳ではなく、来月にようやく返済は終わります。 とりあえず、あると使ってしまうクレジットカードは全て親に渡して管理してもらっています。 手元にあると、また自制がふっとんで散財してしまうから、本当に買いたいものは貯めてからを意識しています。 精神障害があるから制御出来ないは極力減らしたいです。 将来、経済的自立を念頭に置いているため、この経験からクレジットカード払いを使わない様にセーブしたいと思っています。
クレジットカード払いの返済で困った体験談
私はクレジットカードのリボ払いを利用しています。 返済額は、14万円ほどです。 ですが、ある日、銀行の口座の明細を見ると、4000円が、12000円に月々の返済額が上がっていました。 私は、驚いて、『これはどういうことなんだろう』とカード会社に連絡しましたが、カード会社の電話がなかなか繋がりませんてました。 20分くらいかけていても、ずっと「ただ、今電話が混んでいます」と言う応答ばかりでした。 それでも、返済は、進まず、利子ばかりを払っていく感じになりました。 「らちがあかない」と思った私は、借金の問題をインターネットで検索し司法書士さんの事務所や弁護士さんの事務所に相談してみることにしました。 最初の2件は司法書士さんの事務所でした。 司法書士事務所は、みどり法律事務所と、アース法律事務所というところでした、 借金問題の相談をしてみると、結局、借金の返済の利子はカットして、元金だけを返していくというのがあり、それは債務整理というもののようでした。 しかし、デメリットとしては、債務整理をすると、全くクレジットカードが使えなくなってしまう可能性が高いとのことでした。 返済中のクレジットカードだけでなく、今利用しているクレジットカード全てが使えなくなり、しかも、返済が終わっても、5年ぐらいは使えないという話を聞いて、私はとても驚きました。 「それは困る」と、私は思いました。 それで、よく考えてみた結果、法律事務所の債務整理は行なってもらわない方がいいという結論になりました。 自分である程度まとまった金額が出来た時に、返していくことができたら、額が減るので、それが一番いいと思います。