夫の様子がおかしいので問い詰めたら、ギャンブルにハマり消費者金融で120万ぐらい借金があること、返済したいけどできないと泣きつかれました。 結婚する前も夫は借金をしていて、私の貯金から返済したことがあります。その時に、もう二度と借金はしないという約束をしたのですが、仕事で辛いことがありストレス発散するためにギャンブルをして、やめられなくて借金をするようになってしまったと言われました。 すごくショックで離婚したいと思うぐらい腹が立ったのですが、子供がいますし夫のことはまだ愛しているので、なんとかその借金を返済しなければいけないと思ったんです。 うちの貯金だけでは返済は難しくて、夫から夫の両親に話をしてもらい、夫婦で頭を下げてとりあえず夫の両親からお金を借りて消費者金融の借金は返済しました。 夫の両親は私に「ごめんね。息子が迷惑をかけて」と謝ってきて、お金は返さなくていいと言ってくれたのですが、私はそういうわけにはいかないと思いましたし、夫には「きちんとお義父さんたちに返済しなくちゃだめだよ」と言いました。 自分一人ではギャンブルや借金を止めることが出来なかったようで、夫は借金が私にバレてからはすごくホっとして安心したようです。表情が明るくなっていて、「お小遣いはいらないし、夜も働いて親にはお金を返します」と心を入れ替えてくれました。 ハッキリ言って二度も大きな借金をした夫のことは信用できないと思っています。今度借金したら離婚します。
借金地獄からの解放
今から20年程前の20代の時の話です。当時付き合っていた彼女が一人暮らしをしていて金銭的に厳しい状況でした、私は何とか手助けをしたいと思い、食事を奢ったり、電化製品が壊れれば買ってあげたり、何かと彼女の生活費を出していました。当時は彼女も私もギャンブルにハマっており毎回数万円を使っていました。少なからず貯めていた貯金も底をつき、お金を捻出することばかり考えていました。そこで消費者金融の広告やCMが目に留まり、はじめは「数万円なら直ぐ返せれるから借りてみよう」と安易な考えて借りてしまいました。案外手続きは簡単でものの数十分で借りる事が出来ました。もちろん借りた数万円もデート代や彼女の生活費、交遊費、などであっという間に無くなりました。そして「また給料が入ったら返せばいいか」と再びお金を借りました、そんな事を繰り返して行くうちに借りれる限度額の上限がいっぱいになって借りられなくなりました。次に他の消費者金融に手を出してしまいました。数ヶ月のうちに数社の消費者金融から借りてしまい、その頃には毎月の返済が給料では足りず、足らない分は消費者金融から借りる自転車操業となってしまいました。「やばい」と気づいた頃には時すでに遅し、次第に他の消費者金融の限度額がいっぱいになり、新たにカードを作ろうとしても作れない状態に陥ってしまいました。完全に首が回らない状態になりこれからどうしたらいいか悩みました。そこで知人に話をしたところ弁護士に相談をしてみたら、と助言され弁護士事務所へ問い合わせをして、結果「債務整理」という方法で借金を100万円に圧縮して3年間で支払う事になり、毎月の借金地獄から解放されました。この時の安堵は今でも忘れません。
借金の話しばかり
「大学なんて行かなくて良い」、そう親に言われたら、自分だけの力で進学するしかなかった。 希望の大学に合格するために猛勉強したため、アルバイトをする余裕はなく、学費等は奨学金で賄った。 大学生にはなれたが、遊んでいられる余裕はない、生活費を稼ぐために複数のアルバイトを掛け持ちした。 コンパに誘われても断った、アルバイトを掛け持ちしても、親からの援助が全く無いと生活はいつもカツカツだった。 アルバイトに追われると、「なんのために大学に通っているのだろう?」、しかし、進学を機に家を出てしまったため帰る家はなく、頑張って大学は卒業した。 社会人になると同期入社の同僚らがコンパに誘ってくれるのだが断った、なぜなら、奨学金を返済しなくてはならないから。 同僚、「メシを食わないの?」 私、「ダイエット中なんだ」 奨学金の返済と一人暮らしをしていると、価格がリーズナブルな社食でさえ、たまにしか食べられなかった。 同僚からのコンパの誘いは断れるのだが、取引相手から誘われると断ることは出来ず、お金が無かった私は借金をした。 カツカツな生活を送っている私が借金をしたのは、ボーナスで返済出来ると思ったから。 入社1年目のボーナスはメッチャ少ない、しかし、少ないのは前もって知っていたためガッカリはしなかったのだが、入社2年目に例のウィルスが爆発的に流行したため会社の業績が悪化し、予定していたボーナスの半分も出なかった。 マズイ、ボーナスが半分だと借金を完済出来ない。 学生ならアルバイトを掛け持ち出来るのだが、正規雇用されていると副業は禁止、副業が見付かれば解雇もあり得る。 売れるものは全て売った、全て売っても二束三文にしかならなかった。 爆発的なウィルスにより出社は出来ず、リモートで仕事をすることになった。 私、「リモートで仕事が出来ますか?」 先輩、「無理だな」 私、「仕事が出来ないのに給料は貰えるのですか?」 先輩、「貰えるだろ、俺たち正規雇用されているのだから」 正規雇用だと仕事が無くても給料は出ているのだが、取引先はバンバン倒産している。 私、「うちの会社は大丈夫ですか?」 先輩、「どうだろうな」 私、「会社が潰れたら奨学金を返済出来なくなります」 先輩、「俺だって住宅ローンが返済出来ないよ」 借金を抱えているのは私と先輩だけじゃない、コンアをして社会人を楽しいんでいた同僚も借金を抱えており、この頃は同僚が集まると借金の話しばかりしています。
育休中の借金を任意整理で解決しました
“わたしが初めて借金をしたのは、第一子を出産した後です。産休育休で手当が貰えるのですが、支給されるのが予想していたよりかなり遅く、共働きでなんとか成り立っていた家計が苦しくなったことがきっかけです。
最初はそんなに多くない金額だったのですが、所属していた会社での育休手当の申請が遅く、いつ振り込まれるのか目処も立たない状態だったので、お金がないことが不安になり、借金を重ねることになってしまいました。
クレジットカードも利用して自転車操業のような状態だったので、毎月旦那の給料が入ったら支払いでほとんどを使い切り、わたしの手当が入ったら何とか生活費に回すような感じでした。
このままでは子どものための貯金もできないと思い、育休から復帰した後も子持ちにまったく理解がない職場だったので、思い切って転職して収入を上げることにしたのと同時に、任意整理をして確実に借金を返す選択をしました。
お金を借りられなくなる不安もありましたが、クレジットカードも限度額いっぱいまで使ってリボで払う状態だったので、どちらにしてもお金がこれ以上借りられないことに変わりはないと割り切って、弁護士さんに相談することにしました。
相談してからはスムーズに交渉を進めてもらうことができ、毎月10万近く支払いをしていた借金が毎月3万にまで減ったので、生活はかなり楽になりました。
わたし自身も転職をして手取りが5万近く増え、仕事内容にも満足していますし、何より子どもの貯金が少しずつできるようになったので、任意整理をしてよかったと感じています。”
妻の結婚前の借金
妻と結婚してからすぐに、妻に借金があることが発覚しました。私と結婚する時には特に気がつかず、妻からも借金があることを伝えられずに突然知りました。借金は主に2種類あり、クレジットカードのリボ払いでの借金とカードローンでの借金です。全部で3か所から借金をしており、総額が約300万円ほどでした。300万円は私たち夫婦にとっては大金であり、もちろん一括で支払うことができません。そのためまずは借金を整理するために、3か所ある借金を1か所にまとめることにしました。高金利であるリボ払いやカードローンは、銀行のローンに借り換えることで利息の減額になります。今のままだと利息が年利で約14%位かかっていることが判明したので、銀行に相談してできるだけ金利の低いローンで300万円借りることにしました。私も妻も共働きだったので、ローンの審査も無事通り銀行のローンにすべて借り換えることに成功したのです。そうすることで年利が約5%と大幅に利息を減らすことができ、同じ返済額でも借金の元金をより減らすことができます。銀行のローンに借り換えることに成功し、毎月10万円の返済にすることになりました。妻は私に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったようですが、借金のことは知らなかったとはいえ結婚した以上は妻と一緒に返していきます。現在はまだ借金は返済中ですが、利息の低い銀行のローンに借り換えたことで借金の返済の目途がついてきました。
ギャンブルにハマり、複数の消費者金融から借金をした体験談
現在50代男性会社員です。 少し昔の話になりますが、かつてギャンブル(パチンコ、競馬)にはまり、消費者金融関係から複数お金を借りてしまいました。 (利用した消費者金融) ・プロミス⇒30万円 ・プロミス⇒30万円 ・アイフル⇒20万円 ・武富士⇒10万円 ・その他⇒20万円程 ◆総計:約100万円強 当時は総額100万円程度であり、私も企業勤務でありましたし、これくらいの額ならいつでも返せるという甘い考えでいましたが、月に3万や5万円程返しながらもなかなか元金が減らないことで、さすがに精神的に疲れてきました。 とは言えギャンブルもいつか止めてやろう位の気持ちしか持っておらず、この返済期間が約5年以上続きます。 それから、さすがに子供や将来のことなど考えていくとこのままではいけないということを真剣に考えるようになり、借金を初めて6年目ほどで本気でギャンブルを止めました。 それから今後の返済については早々に弁護士や司法書士などに相談し解決するつもりでしたが、借金が返済していない状態では自分自身の信頼問題(ブラックなど)も出てくるため、一度すべてのカード会社の返済を済ませてから過払い金請求を司法書士にお願いすることにします。 過払い金については、全社で総額約50万円から60万円程だったと記憶しています。 本件はこれで無事に終わりましたが、当時グレーゾーンと言われる時代は何回返済しても元金が減っていかない、本当におっかない時代だったと思います。
じぶんの体験談
じぶんは現在でありますが34歳の男性会社員をおこなっております。じぶんは現在では借金はありませんが、21歳から25歳のときに借金をしてしまいました。借金の原因でありますが、ギャンブルとなっております。じぶんは20歳まではギャンブルなどは一切興味などがありませんでしたが、友人の誘いでパチンコやスロットにはまってしまいました。当時はMAXタイプがパチンコでは存在をしており、スロットでも現在の最大2400枚などではなく、4号機であり、万枚でるときなどもめずらしくなかったのです。一日で30万円ほど勝ってしまったことがあり、それからスロットやパチンコにはまってしまいました。一時期は収支はプラスになっていたこともあったのですが、それ以降は負けてばかりであり、それで借金をしました。しっかりとした会社に勤めていたので、いくらでも借りることができ、最大で200万円の借金を作ってしまったことがあります。複数社から借金を作ってしまい、首が回らなくなってしまい、それで親戚に相談をさせていただき、弁護士を紹介していただきました。債務整理の一つである任意整理の手続きをさせていただきました。過払い金なども30万円ほど返ってきて、170万円で利息なしの状態で返済を行い、27歳のときに借金を完済することに成功をいたしました。もう今ではギャンブルがほんとうに怖くて、どれだけの人に迷惑をかけるのか知っているので一切手はつけてはおりません。
初めて食べるケーキ
「兄ちゃん、テレビが付かない」、幼かった弟はテレビが故障したと思ったらしいが、部屋の灯りも付いていない。
冷蔵庫を開けても灯りが消えているため中は薄暗い、真っ暗でも構わない、どうせ冷蔵庫には何も入ってないのだから。
「兄ちゃん、お腹すいた」、幼かった妹は私に「何か作って」と言うのだが、食材は何もない、朝、食べたパンは前日、給食で出されたものを食べずに持ち帰ったもの。
エアコンが付いていたのは両親が新婚のうちだけ、お金がいるとのことで父親が売ってしまったらしい。
1日に何度も弟と妹は私に「お母さんは、今日も帰って来ないの?」と聞いてくる、帰って来るのか帰って来ないのかは分からない、何処にいるのかさえ分からない。
同じクラスの子から、「給食費、払ってないらしいな?」
私、「・・・」
給食費を払っていないのは事実、今度は「お金を払ってないのに、今日も給食を食べるのか?」と言われ、私は泣きながら給食を食べた。
給食で出される食パンは2枚、1枚は弟、もう1枚は妹が食べる。
給食費は払っていないが、毎回スープをお替りする、すると、担任の先生と目が会う。
担任の先生は目が会うだけで何も言わない、何も言わないが「給食費を払っていないのに、スープをお替りするの?」という目で私のことを見ていた。
貧乏が恥ずかしいことを、大人になって知ったわけではない、子供の時にも分かっていた。
貧乏に耐えられたのは、近所には私と同じような境遇の子供が沢山いたからだ。
私が子供の頃に住んでいたのは企業城下町、そのため、景気が良い時には給食費を支払えるのだが、景気が悪くなると大人達はギャンブルばかりして借金をこしらえる。
子供はニュースなんて見ないが、借金をこしらえると両親の仲が悪くなるため、不景気を知る。
売れるものは全て父親が売ってしまった、借金をこしらえた父親は家に帰って来ない。
父親はいなくても、借金取りは必ず来る。
家のカギは壊れている、借金取りが壊したからだ、私が見ているところで。
カギを掛ける必要はない、家に盗まれて困るものは何もないのだから。
連日、同じ借金取りが来ると、幼い妹は借金取りに対して挨拶をするようになった。
幼い子供に挨拶をされると、借金取りは強く出られない。
借金取りは学校が休みの時にも来る、妹と挨拶をするようになった借金取りは私に「給食費は払えているのか?」と聞いて来た。
私、「払ってません」
借金取り、「学校が休みの日は、メシはどうしているんだ?」
私、「公園の水を飲みます」
借金取り、「妹達もか?」
私、「はい」
初めてケーキを食べたのは妹が3歳になった誕生日、ケーキをくれたのは借金取りのお兄さん。
町に活気が戻ると父親が帰って来た、暫くすると母親も帰って来た、すると、借金取りは来なくなった。
借金取りが来なくなったのは、両親が借金を返済したから。
再び家族揃って生活が出来るのは嬉しいのだが、妹だけはケーキをくれた借金取りのお兄さんが来なくなって寂しいと泣いた。
ギャンブルで借金を抱えて自己破産した友達の両親の話です。
高校生の時の話ですが、友達の父親がギャンブルが大好きで消費者金融からお金を借りていたみたいで、お母さんから内緒でずっと隠していたみたいで友達とお母さんがわかったときは数百万以上の借金になっていたみたいでお母さんが激怒していたということでした。細かいお金のことは教えてくれませんでしたが、結構大きい額です、。わかってから半月間ぐらいは家の中が地獄だからと友達は私の家で過ごすことが多かったですね。
消費者金融の人が家に来て友達が家に入る前に玄関に男の人二人がいたみたいで家に近づくのが怖いということでした。確かに想像しただけで怖いです、。誘拐されるんじゃないかとか私なら考えちゃいます。
結果、友達の親は自己破産していました。いろいろ考えたらしいのですが、お母さんも体が悪く長く働くことができないみたいなので、弁護士さんと相談しても自己破産が妥当だろうということで、自己破産したみたいです。その後、友達は県営住宅に引っ越していました。まぁ、前の家から10分ぐらいのところだったので私との関係性は変わりませんでしたし、とてもきれいな住宅だったので友達は結構満足していました。逆に部屋が一つ増えて家賃も安くなったので、結果よかったとのことを言っていました。
しばらくの間は生活保護なんかももらっていたみたいです。でもお父さんが車がほしいということで、自分で稼ぐと決めて転職もしてギャンブルもしっかりやめて生活保護もやめたみたいです。今は友達の生活も安心しています。
学生時代の借金が膨らんだ話
友人が学生時代に借金をしてまでお金を貸し、
結局お金を貸した相手と音信不通になり、
社会人になって自力で稼いで返済した話しです。
大学生時代に、ギャンブル(主にパチンコ)にはまる友人が多く、
その中に負けるたびに学生ローンでお金を借りる友人がいました。
友人Aは、負けが続きそのたびにお金を借りており、ついには学生ローンでこれ以上借りられないぐらいに借金が膨れ上がりました。
Aは周りの友人にお金を借りるようになり、ついには他の人に学生ローンで借りさせるまでになっていきました。
私も例外ではなく、Aからお金の相談をよくされましたが、断固として断っていました。
ですが、Aにせがまれて断れなかった友人Bは、自分は必要ないにも関わらず、Aのために学生ローンを組んでお金を借りました。
「絶対返すから」というAの言葉をそのまま信じ、その借金をそのままAに渡します。
予想通り、AはBへの借金の返済ができず、「もう少し待って」という決まり文句で、ずるずると遅れていきました。
その間Bは代わりに学生ローンへの返済を続けました。
そしてついにAは大学に来なくなり、音信不通に。
Bの借金を残したまま連絡が途絶えました。
私を含むBの友人はAの地元や知りうる限りの伝手を使って捜索しましたが、
ついに卒業するまで連絡がつくことはありませんでした。
Bは、社会人になってからも学生ローンの返済に追われ、5年をかけて完済しましたが、
Aへの恨みは当然未だにはれていません。
友人を助けるためだったとはいえ、代わりに借金をしたBにも落ち度はあると思いますが、
恨みがはれないのも当然かと思います。