借金返済のために家計管理マシーンとなった話

20代のころ、一緒に音楽活動を行っていた相方が急遽引っ越ししなければならない事情があったり、同棲していた彼女の借金を肩代わりすることになったりで借金を背負っていました。
金額はそこまでたいしたものではないのですが、このままでは音楽活動もままならない、ということで僕が彼の通帳を預かり、家計を管理することになりました。
毎月、アルバイトの給与が振り込まれるとそこから音楽活動に必要な金額をそのまま預かり、借金返済の分割金額を支払い、彼の家賃や光熱費を支払い、そして余った金額を彼に渡す、というやり方です。
彼も最初はやはり自由に使える金額の少なさに驚いていましたが、逆に言えばそのくらい借金を返すのは大変なことだ、と気づいてくれたようでした。
音楽活動に使う金額はその月に余った分を半分貯金、半分は小遣いとして彼に渡していました。予定外の収入は彼にとってもうれしいようで、借金返済の励みになっていたようです。
かなり徹底して管理していたおかげで借金自体も半年ほどで完済し、通帳を彼に返却すると言いましたが、自分で持っていたらある分だけ使ってしまうから引き続き預かっていてほしい、と言われその後もしばらく彼の家計管理は僕の担当になっておりました。
自分で金銭の管理ができないという人は一定数います。大本の給与を管理できる人が預かり、物理的に無駄遣いや衝動買い、パチンコなどの遊戯に行けなくするのが借金返済の一番簡単な方法だと思いました。

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母子家庭の母

私の実母の話です。未婚のシングルマザーとして私を女手ひとつで育ててくれたお母さん、小さい頃はわかりませんでしたが、シングルで子供を育てるには大変な苦労があったようでした。クレジットカードのキャッシング枠だけでは足りなくなると、クレジットカードの現金化と言う方法で手元に現金を作り、リボ払いの利息ばかりを払っていく…そんな泥沼に陥ってしまっていたようでした。高校に入る頃には子供ながらに家計の深刻さが目に見えてわかるようになり、アルバイトで稼いだお金を全て家計に入れていましたが、毎月足りたり足りなかったりを繰り返していたようです。そんな思いをしてまで私を育ててくれた母には大変感謝をしていますが、何か他の方法はなかったの?と悔しくも思います。
社会人になり、アルバイトの時よりも多く家にお金を入れられるようになりました。大体一月に10?15万は入れて居たのに…家計が楽になっている感じはまるでないのです。贅沢をしているわけではないのに。そんな頃母が体を壊し、職を失ってしまったため、一時的に…と私名義でカードのキャッシングをして欲しいと頼まれました。お母さんの頼みを断ることも出来ず、私名義の借金も増えてしまいました。地獄のような自転車操業の暮らしが何年か続きましたが、私が学生時代からの彼と結婚のため上京することになり、退職金で一旦借金はリセットすることができました。(娘にこれ以上心配をかけないようにそう言っただけかもしれませんが…)あの頃のお母さんがいくら借金をして、毎月どれだけの返済があったのか、具体的な数字は今までに聞いたことはありません。老いた今、どうかもうリボ払いに手を出さないよう祈るのみです。

夫のギャンブル依存で

今から6年ほど前、新婚だった夫の休日の行動が怪しく、問い詰めたところ朝から晩までパチンコ屋に通い詰めていました。私には「一日中漫画喫茶にいた。寝てしまって連絡に気がつかなかった。」などと嘘をついて…。この時点で愛想が尽きかけていましたが、薄給の主人がパチンコに使えるようなお金もなく、その金の出どころを更に問い詰めたところ、カードローン2社分(しかもそれぞれ満額)合わせて80万円借金があることが判明。嗚呼…当時のことを思い出しただけで動悸がしてきました。毎月雀の涙ほどの額をせっせと返しているようでしたが、何百年後に返し終わるつもりなのかわかりませんし、今後子供も欲しいのに…。将来のことも一気に不安になりました。まずは、借金をして、更に嘘をついてまでパチンコをし続ける精神状態は異常だと思い、主人を説き伏せて精神科を受診させました。やはり「病的賭博(ギャンブル依存症)」の診断がつき、主人も自分を客観視できたようです。カードローンへの返済は、本当は本人に払わせるべきでしたが、私の貯金と給与、ボーナスを使い、数ヶ月後になんとか返済…。なんと大学在学中にもらっていた奨学金も、パチンコにつぎ込んでいたということもわかりました。やっと借金を返したかと思ったら今後返していかなければならない奨学金も、パチンコで消えた金なのか…。怒りと虚無感に苛まれました。籍を入れる前に気づいていたら結婚していなかったかもしれません。しかしもう家族となってしまった以上、共に依存症と闘っていきます。その後は今日まで借金をしてパチンコをしたことはなく(パチンコ自体はたびたびしています…)、これで借金問題とはオサラバだといいなと思っています。

祖母の親戚の借金の返し方

私の祖母は人がいいというか、私からすると良すぎてイライラしてしまうような人です。そのため、過去には親戚に何百万円も貸したことがあるそうで、ある日それが祖母のきょうだいにバレてお金を借りた親戚は叱られたそうです。その借金をした親戚は、お金が入るとすぐに使ってしまう悪い癖があるようで、頼れる人がいれば誰とも限らずお金を貸してくれと言っていたとのこと。祖母はなんとか貸したお金を返してもらったようですが、その時のお金はその親戚の家族が貯金を繰り崩してできたものでした。その後、親戚は新事業を立ち上げて借金生活からは見事に足を洗ったそうです。詳しい起業内容は聞いていませんが、40歳から起業の勉強をしていたらしく、それが奇跡的に波の乗ったと聞きました。いろんな人に借金をするようないい加減な人が新事業を立ち上げるといっても、初期費用がかかるだけで成功しないのではと思った私にとっては、世の中そんなこともあるんだなという感想でした。しかし、言われてみれば勉強ができる人は大手企業に勤めるイメージがあり、あまり頭のおできがよくない人の方が起業するようなイメージがあります。新卒時点から大手に必要とされる人はあえて起業する必要も、そのリスクを負う必要もないのでしょう。その親戚はいろいろな人の借金をするようなある意味顔の広い人だったようで、その人脈の広さが起業の成功に導いたのだと言われていました。人騒がせな人です。

友達の借金の返し方がすごかった

私の大学時代の友達に、社会人になっても金遣いが荒く、消費者金融で借金をしているという人がいます。データでは、若い人を中心に貯金が0という人も多いことを知り仰天したのですが、それなら消費者金融に頼っている人がいても不思議ではないのかもしれないなと思いました。どうもだらしない人のようで、私が付き合いをやめようと思ったのは自分でクズと言いながらそのクズという行動をしていると知った時でした。お金がないのに、親の金で友達と海外旅行に行っていたのです。そしてそれをクズみたいだけどと自分で認識した上でやっているので、悪いとわかっている行動をしていることになります。そんな彼は消費者金融で借りたお金を返した方法をブログにし、Facebookに上げていました。つい見てしまったのですが、その方法はクラウドソーシングでした。ちまちまやるのではなく、比較的大きな案件に応募して報酬をもらうことを繰り返したそうです。定職には今ついているようですが、かなりの時短のようでクラウドソーシングは副業だと書いてありました。応募は複数同時にやっても良いらしく、かなりの数を短期間でやってのけたそうです。そのやる気と気力があれば当初からちゃんと稼いでいればいいのにと思うのですが、ああいう人たちには何を言っても無駄でしょう。クラウドソーシングといってもいろいろな案件があるのでマネをしてそこまで稼げるかはわかりませんが、人間本気を出せば稼げるのだなと思いました。

会社にバレるところだった

フリーター時代に消費者金融からお金を借りていて、お金を借りることに対して癖がついていてあまり何も思うことなく、会社員として働き出してもお金を借りる生活をしていました。仕事でのストレスもありギャンブルをするようになってしまったのともあり、さらに借金は膨らんでいって返済が難しい状況になり催促の電話やハガキなども届くようになっていましたが、そんな状況でもあまり危機感を感じることなく深く考えずに過ごしていました。そんなことも関係あるのか、会社の人に借金があるのかと聞かれてしまいドキッとしたしなぜそんなことを聞くのか問いただしたところ、催促の電話が頻繁にかかってくることに対して何事だと思ったようでした。万が一給与の差し押さえなどにあうと会社にも当然バレてしまうし、これはまずいと思ってそこからは借金を増やさないようにかなり気をつけました。身近な人にもバレたくなかったのですが、このままでは利息の返済で一生完済できないのではないかと思い、父親に連絡してお金を貸してもらい代わりに返済してもらった形でどうにか無事に済ませることができました。父親には借りた分だけを返すという感じなので、毎月の利息で悩む必要がなくなり本当にホッとしているし、大人になっても親に頼った自分が恥ずかしくもなりました。会社にばれていたら居心地が悪くなり仕事を辞めざる得ない状況になっていたかもしれないので、バレなくて本当に良かったです。

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親子でお金のことでいつもケンカしていた

母はラララカードのクレジットカードを持っていました。 お金がないからということでクレジットカードを作って持っていたのです。 スーパーの総菜の仕事をしていて「お金がないから」とクレジットカードでお金を借りていましたね。 私はそのころ恥ずかしいことにクレジットカードの役割とか何も知らずに母がクレジットカードでお金をATMで引き出す姿を見ていました。 母は「私のクレジットカードではお金が返せなくなる。だからクレジットカードを作りなさい」と言われ、私もクレジットカードを作ることになったのです。 母の借り入れ金額を見て「これではいけないな。私のクレジットカードでお金を借り、母のクレジットカードの借り入れをゼロにしていこう」と思うようになったのです。 母に「これから私のクレジットカードの方でお金の借り入れをするから、お母さんのクレジットカードの借り入れはゼロにするから」と言ってからお金のことでいつもケンカすることになったのです。 これではいけないとケンカしてでも母のクレジットカードの借り入れをゼロにして見せると決め、毎月返済し、残額が1,000円以下を切ったので母が作ったクレジットカードの会社に電話をしてカードの解約の手続きをとることができました。 もう母にクレジットカードは作ったらいけないわ、今度は私のクレジットカードの借り入れをゼロにしてお互いクレジットカードを持つのはやめようねと話し親子ともクレジットカードを持たないようにしています。 今回は弁護士や司法書士事務所に話しを通さずにすみました。

クレジットカードは持つべきではないと痛感しました

私はイオンカードとセディナカードを持っていました。 母が「クレジットカードを持っておいた方が良い」と言われ作っていたのです。 給料では足りなくなったらクレジットカードでお金を借りると言う繰り返しをしていて「少額だからすぐに返せる」と思っていました。 ところが私は職場の人間関係がうまくいかず何度も転職し、母が体調を崩し入院、手術をしたりでお金がうまくまわらなくなり、クレジットカードの返済も金額が高いので難しくなっていったのです。 市役所の消費生活センターに行き、弁護士を紹介してもらい後日行って話しをして「もうお支払いはしなくてよいです。今からこちらで2社とお話ししますから」と言われ弁護士事務所から連絡がくるのを待っていて、2社と和解ができたので後日書類を送ります」とのことでした。 それから書類が届き、支払金額が少なくなり、指定された日まで銀行に行って決まった金額を振込する日々を送りました。 私は節約をして支払いをして生活し、残額が少なくなってきたところでまとめて完済し、弁護士事務所に「夕方になりましたが残額が○○円だったので全額銀行から振込ました」と連絡し、後日弁護士事務所から完済した書類が送られてきました。 完済できた時は本当にうれしくて「よくやったよ」と自分の心の中で言い続けていましたね。 そして、改めて思ったのはクレジットカードは持つべきではないと思ったことです。 確かに便利はいいけど、後でお金を支払わないといけないと言うのがどれだけ大変かということを身にしみて感じました。 それから私はクレジットカードは持たない、作らないと決めていて、お店に行ったときにすすめられるけどきちんと断っています。

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信頼していたのに・・・・・ショックです

いとこのおばは2度結婚していて、再婚した方と一戸建て住宅に住んで生活していました。 おばは自分の2人の娘と再婚した方と楽しく生活をしていて、私も何度かお会いしたことがあり、信頼していました。 2人の娘のうち、1人は結婚して関西に住んでいて、もう1人は地元に住んでいます。 ある日おばから電話があったのです。 「私は事情があって1人の娘が住んでいる関西に行くから」と、その時は何かあったのかなと思いました。 それから1年後おばから電話があり「自分の体調が悪くなり、地元に帰ってきたから、もう1人の娘の家に近くの公営団地に住み生活することになったからね」と言うことだったのです。 理由は私から聞かずにおばの方から話しを聞きました。 話しによると「再婚した方が市外で仕事をしていて起業を始めたが失敗して多額の借金を作ってしまったから」と言うことです。 おばは再婚した方をものすごく怒り離婚したのです。 一戸建ての家を手放し、そのお金で借金を全額返済するのも足りず、弁護士を通し自己破産の申請の手続きをして、おばは再婚した方と離婚して生活保護を受けることになったのです。 おばは市役所に行き、生活保護の申請をして、再婚した方が多額の借金を作り自己破産したことを話し、娘2人とも結婚して子供もいること、銀行の通帳のコピーをとられ、おばの兄弟のことを話し、兄弟に援助を依頼する手紙を送ることを市役所の方に言われたのです。 おばから「市役所に行って生活保護の申請手続きをしたから、市役所から手紙が来るので「援助できない」に〇をつけて市役所に送って」と言うことだったのです。 その後市役所から手紙が来て、母が入院していて母の入院代などがあるので援助できないことを手紙に書き市役所に送りました。 後日市役所から電話があり、おばを援助してほしいなどと言われましたが、私は「母の兄弟であり援助はしないといけないことはわかっています。ただ母が入院していて私は母のことでいっぱいなのでどうしても援助は申し訳ないけど援助はできません。おばから状況は聞いています。生活保護を受け入れてあげてください」と伝え、それから生活保護を受けおばは過ごしています。 再婚した方を信頼していたのに起業をはじめ多額の借金を作ったと聞き本当にショックで裏切られた気持ちでいっぱいです。 ちなみにおばには借金はありません。

借金の感覚がマヒ

私は現在40代です。 最初に借金をしたのは20代後半でした。 同年代に比べると給料は良い方だったはずですが、その分生活も贅沢をしていたので、貯金はほとんどありませんでした。 お金がたくさんほしいと思い、競馬にのめりこみました。 予想会社に頼って、勝負レースに10万、20万とつぎ込むために、カードローンを使うようになりました。 最初は2社程度でしたが、競馬も当らず、取り戻すためにさらにお金が必要になり、カードローンを増やしました。 最終的には6社くらいのローンを借りて、どこかに返済するために借りるのを繰り返す自転車操業になりました。 生活が苦しくなり、給料日も当日中には返済だけですべて無くなってしまうようになりました。 この頃から返済にも少し困るときがあり、会社に個人名で取り立ての電話が来たり、家に帰ると固定電話の留守電にメッセージが何件も入っていました。 これではいけないということで、おまとめローンを組みます。 カードローンで6社、それ以外でクレジットカードのキャッシングもあったので、合計で400万円近いおまとめです。 今思えば、よく貸してくれたと思います。 そのおまとめローンで、一時的にすべての借金を返済しました。 ところが、カードはいくつか手元に残っていました。 すべてを解約するという条件になっていなかったので、返済した証明だけをおまとめローンの会社に提出し、契約は残ったままでした。 そのため、せっかくまとめたのに、新たな借り入れをしてしまいました。 おまとめローンの月々の支払いもそれなりにあったので、その分を稼ぎたいと思い、この頃は競馬以外にFXもしていました。 結果的に過去を振り返ると、お金がほしいというところから始まったのですが、ある程度借りてしまうと次は返済のために借金をする悪循環になります。 そして、自転車操業の状態になると自分を見失います。 借金を返すことが精一杯で、先のこととか、貯金などは考えられなくなります。 また、督促の郵便・電話も当たり前になり、感覚がマヒします。 常に考えているのは、どうやってこの状況を抜け出すかではなく、次はどこから借りれるか。 こうなってしまうと借金から抜け出すのは難しいと思います。 私は最終的には、会社への督促がひどくなったのと、とあるクレジットカードが使用禁止になって自転車操業が回らなくなったので、民事再生の手続きをしました。 民事再生の手続きは大変でしたし、自己破産ではないので一部支払いは残りましたが、立ち直るきっかけにはなりました。 しかし・・・、その5年後には、私はまた繰り返します。