妻を亡くし、最初の数年は気落ちしていましたが、次第に元気になり庭いじりをしながら悠々自適に暮らしていた祖父。その祖父の住んでいた自宅が息子の借金のせいで無くなってしまいました。 祖父は80代になって突如住む家を失い、小さなアパートに引っ越すことになりました。 話しの発端は自営業の息子が作った借金でした。私からすると伯父にあたるその人も事業の失敗で自宅を失ってしまいましたし、養う家族もいましたので少しは同情するところもあるかもしれません。どうしてもお金が必要だったのだろうと思います。しかし祖父をほとんど騙したような形で、祖父の自宅(土地と家屋)を借金の担保にしていたことに憤りを隠せませんでした。 私の父を含めほかの兄弟たちには黙っておくよう口止めをしていたらしく、それでもやはり不安に思った祖父が、私の父に相談したことから発覚しました。 勿論父は大激怒、すぐに知り合いの弁護士さんに相談しましたが時すでに遅く、祖父の土地家屋は借金のカタに抑えられてしまい、祖父は住むところを失いました。 木々が沢山育ち、花をきれいに植えていた祖父の庭も、私たちが幼いころから何度も泊まった家も全部なくなりました。家が広かった分やはり家具や物も多く、狭いアパートには入りきりません。なので愛着のあった家具なども手放したそうです。引っ越ししてからは家が狭くなったから掃除が楽だ、と言って元気に過ごしていましたが、数年前に亡くなりました。そんな息子とは縁を切ればいいのに、と父は思ったそうですが、長男ということもあり、最期は看取ってくれるはずだと祖父は伯父の事を悪くは言いませんでした。
パチスロにハマって多額のキャッシング
派遣会社で働いていた頃、私は業務時間外に派遣仲間たちとパチンコやパチスロなどについて話すことが多々ありました。はじめはギャンブルの類は一切やったことがなかったので、ただ話を聞くだけでしたがそのうち興味が湧いてきました。それでも借金などが怖かったので手を出さなかったのですが、あまりにしつこく誘われるので申し訳なくなりパチンコ屋に向かいました。当日は1万円までと決めて打ち始めたのですがものの1時間もしないうちに1万円はなくなってしまいました。周りの派遣仲間たちはどんどんお金を下ろしにATMに行っては台に戻って打つ始末。その光景を見て私もなんだか感覚が麻痺してきてATMから下ろして打ち続けました。結局その日に負けた金額は4万円弱。まあこれくらいならしょうがないか、もうやらなければいいしと思って帰りました。しかし次の日から週に一回程度一人で打ちに行くようになり、半年後には週3位上うちに行く日もありました。自腹では足らなくなりキャッシングサービスを利用しました。限度額目一杯借りても全く足りず、次のキャッシングサービスのお店に行く始末でした。結局膨れ上がった借金は130万円。とても派遣社員が返せるような額ではありませんでした。そもそも毎月の生活もかつかつな派遣社員にとってこれだけの額の借金はとても返せないと思い、先輩社員や周りの友達に相談しました。すると自己破産をするか債務整理をするのが良いと勧められましたが、親や職場にバレたらどうしようと思いやめました。その後、パチンコを一切やめ、付き合いの飲み会なども全部断って借金を返してきました。現在でも55万円ほどありますが、どうにか毎月返済を続けています。
返済のために努力した事
カードローン120万借入れ。 ダブルワークと生活切り詰めで返済をした。 不倫をした際に、相手側の旦那に慰謝料の請求をされました。金額を下げるために弁護士をたてて相手側に不利な事案を突きつけたりして一年以上頑張ったのですが、やはり150万円までしか下げる事が出来ませんでした。ただ一括で支払うのは無理なのでとまだ下げるようにお願いしていたら、相手側が分割でもいいと条件を出してきたのです。それは半額を即金で支払って、残りを月一万づつ払うというものでした。これ以上は下げるのが難しうというので、カードローンで120万借りました。貯蓄はあったのですが、奥さんと離婚を前提に別居する事になって、そのために部屋を借りるお金や諸々の事で大半を使ってしまったのです。まずは返済のために、生活の最低限かかる金額を計算しました。タバコをやめて自炊をする事にしました。給料がそこまで高くなかったのでリボ払いを選択して払う事にしたのですが、月々はなんとか赤字にならないで生活できますが、残金がなかなか減らないんです。これではいつまでも返済しなければならなくなると感じて、週に3回だけ4時間ほど倉庫で働く事にしました。これが夜勤帯の時給も組み込まれていたので、6万程度の収入になりました。この中から5万を返済に充てて、1万を自由に使えるお金にまわしました。返済の途中で給与が上がったり、サイドビジネスでの収入もあったので返済も含めた自分の生活が悪い方に向かう事はありませんでした。2年での返済を考えていましたが、いい方向に向かったので1年7か月で完済する事が出来ました。
ギャンブルにはまって借金苦に
離婚歴があって養育費の支払いと、日々の生活費に困窮していました。それらを補う目的でカードローンを契約しましたが、最後はギャンブルにはまって多重債務に陥りました。 もともとパチンコや競馬が好きではありましたが、ひとりになった寂しさから頻度が増えました。初めは生活費の補てんのためのカードローンでしたが、徐々にギャンブル費用に充てるようになりました。 借入額はどんどん増えていって、すぐに利用限度額になってしまいました。ギャンブルで儲けて返済しようとする考え方は治らず、次々と新たなカードローンを契約しました。 最終的な借入額は170万円近くになって、次回の返済も厳しくなりました。契約しているカードは返済専用になってしまって、新たなカードローンも契約できません。 借金問題を誰にも相談できずに困っている時に、テレビで弁護士事務所の無料相談を知りました。ネットで調べて近くの弁護士事務所に出向いて、状況を説明しました。 収入と支出のバランスを考えると、債務整理することを勧められました。弁護士と相談を進めたうえで、任意整理することにしました。 借金が帳消しになるわけではありませんが、利息は免除されて返済期間も猶予されます。また、手続きを依頼したあとは、カードローン会社と関わりを持つこともありません。 任意整理することで、一定期間はローン契約を結べないなどのデメリットはあります。しかし、借金問題から開放されて精神的な余裕も生まれますし、平穏な日常生活を送れるようになりました。
20代のときの体験談
じぶんは現在でありますが34歳の男性会社員をおこなっております。これは自分が20代のときの体験談となっておりますが、自分は当時スロットにはまっていた時期がありました。当時は4号機の末期であり、爆裂機などがかなり主流になっておりました。じぶんの場合でありますが、スロット北斗の拳にはまっておりました。パチンコ、スロットをする人であれば、知らない人がいないくらいに有名な機種になっております。調子がいいときなどは一日で10万円勝つことも当たり前であり、調子がよいときなどは一日で30万円勝つことなどもありました。そういった勝ちを覚えてしまい、自分は休日や仕事の帰りなどはパチンコに足を運ぶのが当たり前になっていたのです。時代が移り、5号機に移行をしたときは全く勝てなくなっておりました。貯金などもそこそこはあったのでありますが、気がつけば貯金をすべて使い果たしていたのです。それで生活費の補填のために、自分はアコムやレイクといった消費者金融にお金を借りることにいたしました。最初は5万円といった小額であったのですが、ギャンブル癖がぬけなくなってしまい、気がつけば100万円を超える金額を借金していたのです。利息だけ払うのも自分は困難になってしまい、親戚や家族などに相談を行い、借金を肩代わりしていただき、今度ギャンブルをすれば縁を切ることを条件に利息なしで返済をすることにしました。現在では無事に借金を完済して、ギャンブルなどに手を出さずに、日々を平和に過ごしております。
独身気分のママ気ままに…
37歳子供一人、既婚男性会社員です。 35歳で結婚しましたが、私自身もともと浪費家で趣味のギャンブルは依存症にも近い状態のため、結婚以前からあった借金は妻に内緒にしたまま、妻からのアプローチに応じるまま結婚しました。幸せなことに結婚してすぐに子供にも恵まれ、そろそろ新居を構える時期かなぁというタイミングで、ひょんなことから妻に借金がバレてしまい、信用情報開示請求を取り寄せられてしまい、それを見て妻号泣。当然離婚といわれても仕方がないかなとは思っていましたが、妻の包容力や子供のこともあり、平謝りで何とかお許しいただきました…。そして、夫婦の貯金から捻出し、すぐに完済。私の場合、額が結構な額で、さらに少しではありましたが返済遅延もあったため、もしかしたらブラックリストに載ってしまっているのではないかとの懸念もありましたが、先日住宅メーカーにローン審査の問い合わせをしてみたところ、私の収入状況や既に完済していることなどから、何とか審査には通る模様でした。現在は、妻にバレる前は給料明細をちょろまかし、月々10万円ほど自分で自由に使えるお金があったものを、1万円のおこづかいになってしまい、夫婦の貯金切り崩し分への返済に充てられてしまっていますが、昨今のコロナの影響により飲み会等もほぼなくなり、特に不自由なく生活ができております。時々なんでこんなに馬車馬のように働いてるのに1万円…と感じてしまうことはありますが、因果応報、天網恢恢疎にして漏らさず、悪いことをした自分のせいなのでと心を無にして働くようにしております。そして今も心のどこかで、自分の中の悪魔が特大万馬券あてて一気に取り戻してやる…と囁いています(笑)これって死んでも治らないのかな( ;∀;)
夫が内緒で借金していてショック
夫の様子がおかしいので問い詰めたら、ギャンブルにハマり消費者金融で120万ぐらい借金があること、返済したいけどできないと泣きつかれました。 結婚する前も夫は借金をしていて、私の貯金から返済したことがあります。その時に、もう二度と借金はしないという約束をしたのですが、仕事で辛いことがありストレス発散するためにギャンブルをして、やめられなくて借金をするようになってしまったと言われました。 すごくショックで離婚したいと思うぐらい腹が立ったのですが、子供がいますし夫のことはまだ愛しているので、なんとかその借金を返済しなければいけないと思ったんです。 うちの貯金だけでは返済は難しくて、夫から夫の両親に話をしてもらい、夫婦で頭を下げてとりあえず夫の両親からお金を借りて消費者金融の借金は返済しました。 夫の両親は私に「ごめんね。息子が迷惑をかけて」と謝ってきて、お金は返さなくていいと言ってくれたのですが、私はそういうわけにはいかないと思いましたし、夫には「きちんとお義父さんたちに返済しなくちゃだめだよ」と言いました。 自分一人ではギャンブルや借金を止めることが出来なかったようで、夫は借金が私にバレてからはすごくホっとして安心したようです。表情が明るくなっていて、「お小遣いはいらないし、夜も働いて親にはお金を返します」と心を入れ替えてくれました。 ハッキリ言って二度も大きな借金をした夫のことは信用できないと思っています。今度借金したら離婚します。
借金地獄からの解放
今から20年程前の20代の時の話です。当時付き合っていた彼女が一人暮らしをしていて金銭的に厳しい状況でした、私は何とか手助けをしたいと思い、食事を奢ったり、電化製品が壊れれば買ってあげたり、何かと彼女の生活費を出していました。当時は彼女も私もギャンブルにハマっており毎回数万円を使っていました。少なからず貯めていた貯金も底をつき、お金を捻出することばかり考えていました。そこで消費者金融の広告やCMが目に留まり、はじめは「数万円なら直ぐ返せれるから借りてみよう」と安易な考えて借りてしまいました。案外手続きは簡単でものの数十分で借りる事が出来ました。もちろん借りた数万円もデート代や彼女の生活費、交遊費、などであっという間に無くなりました。そして「また給料が入ったら返せばいいか」と再びお金を借りました、そんな事を繰り返して行くうちに借りれる限度額の上限がいっぱいになって借りられなくなりました。次に他の消費者金融に手を出してしまいました。数ヶ月のうちに数社の消費者金融から借りてしまい、その頃には毎月の返済が給料では足りず、足らない分は消費者金融から借りる自転車操業となってしまいました。「やばい」と気づいた頃には時すでに遅し、次第に他の消費者金融の限度額がいっぱいになり、新たにカードを作ろうとしても作れない状態に陥ってしまいました。完全に首が回らない状態になりこれからどうしたらいいか悩みました。そこで知人に話をしたところ弁護士に相談をしてみたら、と助言され弁護士事務所へ問い合わせをして、結果「債務整理」という方法で借金を100万円に圧縮して3年間で支払う事になり、毎月の借金地獄から解放されました。この時の安堵は今でも忘れません。
借金の話しばかり
「大学なんて行かなくて良い」、そう親に言われたら、自分だけの力で進学するしかなかった。 希望の大学に合格するために猛勉強したため、アルバイトをする余裕はなく、学費等は奨学金で賄った。 大学生にはなれたが、遊んでいられる余裕はない、生活費を稼ぐために複数のアルバイトを掛け持ちした。 コンパに誘われても断った、アルバイトを掛け持ちしても、親からの援助が全く無いと生活はいつもカツカツだった。 アルバイトに追われると、「なんのために大学に通っているのだろう?」、しかし、進学を機に家を出てしまったため帰る家はなく、頑張って大学は卒業した。 社会人になると同期入社の同僚らがコンパに誘ってくれるのだが断った、なぜなら、奨学金を返済しなくてはならないから。 同僚、「メシを食わないの?」 私、「ダイエット中なんだ」 奨学金の返済と一人暮らしをしていると、価格がリーズナブルな社食でさえ、たまにしか食べられなかった。 同僚からのコンパの誘いは断れるのだが、取引相手から誘われると断ることは出来ず、お金が無かった私は借金をした。 カツカツな生活を送っている私が借金をしたのは、ボーナスで返済出来ると思ったから。 入社1年目のボーナスはメッチャ少ない、しかし、少ないのは前もって知っていたためガッカリはしなかったのだが、入社2年目に例のウィルスが爆発的に流行したため会社の業績が悪化し、予定していたボーナスの半分も出なかった。 マズイ、ボーナスが半分だと借金を完済出来ない。 学生ならアルバイトを掛け持ち出来るのだが、正規雇用されていると副業は禁止、副業が見付かれば解雇もあり得る。 売れるものは全て売った、全て売っても二束三文にしかならなかった。 爆発的なウィルスにより出社は出来ず、リモートで仕事をすることになった。 私、「リモートで仕事が出来ますか?」 先輩、「無理だな」 私、「仕事が出来ないのに給料は貰えるのですか?」 先輩、「貰えるだろ、俺たち正規雇用されているのだから」 正規雇用だと仕事が無くても給料は出ているのだが、取引先はバンバン倒産している。 私、「うちの会社は大丈夫ですか?」 先輩、「どうだろうな」 私、「会社が潰れたら奨学金を返済出来なくなります」 先輩、「俺だって住宅ローンが返済出来ないよ」 借金を抱えているのは私と先輩だけじゃない、コンアをして社会人を楽しいんでいた同僚も借金を抱えており、この頃は同僚が集まると借金の話しばかりしています。
育休中の借金を任意整理で解決しました
“わたしが初めて借金をしたのは、第一子を出産した後です。産休育休で手当が貰えるのですが、支給されるのが予想していたよりかなり遅く、共働きでなんとか成り立っていた家計が苦しくなったことがきっかけです。
最初はそんなに多くない金額だったのですが、所属していた会社での育休手当の申請が遅く、いつ振り込まれるのか目処も立たない状態だったので、お金がないことが不安になり、借金を重ねることになってしまいました。
クレジットカードも利用して自転車操業のような状態だったので、毎月旦那の給料が入ったら支払いでほとんどを使い切り、わたしの手当が入ったら何とか生活費に回すような感じでした。
このままでは子どものための貯金もできないと思い、育休から復帰した後も子持ちにまったく理解がない職場だったので、思い切って転職して収入を上げることにしたのと同時に、任意整理をして確実に借金を返す選択をしました。
お金を借りられなくなる不安もありましたが、クレジットカードも限度額いっぱいまで使ってリボで払う状態だったので、どちらにしてもお金がこれ以上借りられないことに変わりはないと割り切って、弁護士さんに相談することにしました。
相談してからはスムーズに交渉を進めてもらうことができ、毎月10万近く支払いをしていた借金が毎月3万にまで減ったので、生活はかなり楽になりました。
わたし自身も転職をして手取りが5万近く増え、仕事内容にも満足していますし、何より子どもの貯金が少しずつできるようになったので、任意整理をしてよかったと感じています。”