「兄ちゃん、テレビが付かない」、幼かった弟はテレビが故障したと思ったらしいが、部屋の灯りも付いていない。
冷蔵庫を開けても灯りが消えているため中は薄暗い、真っ暗でも構わない、どうせ冷蔵庫には何も入ってないのだから。
「兄ちゃん、お腹すいた」、幼かった妹は私に「何か作って」と言うのだが、食材は何もない、朝、食べたパンは前日、給食で出されたものを食べずに持ち帰ったもの。
エアコンが付いていたのは両親が新婚のうちだけ、お金がいるとのことで父親が売ってしまったらしい。
1日に何度も弟と妹は私に「お母さんは、今日も帰って来ないの?」と聞いてくる、帰って来るのか帰って来ないのかは分からない、何処にいるのかさえ分からない。
同じクラスの子から、「給食費、払ってないらしいな?」
私、「・・・」
給食費を払っていないのは事実、今度は「お金を払ってないのに、今日も給食を食べるのか?」と言われ、私は泣きながら給食を食べた。
給食で出される食パンは2枚、1枚は弟、もう1枚は妹が食べる。
給食費は払っていないが、毎回スープをお替りする、すると、担任の先生と目が会う。
担任の先生は目が会うだけで何も言わない、何も言わないが「給食費を払っていないのに、スープをお替りするの?」という目で私のことを見ていた。
貧乏が恥ずかしいことを、大人になって知ったわけではない、子供の時にも分かっていた。
貧乏に耐えられたのは、近所には私と同じような境遇の子供が沢山いたからだ。
私が子供の頃に住んでいたのは企業城下町、そのため、景気が良い時には給食費を支払えるのだが、景気が悪くなると大人達はギャンブルばかりして借金をこしらえる。
子供はニュースなんて見ないが、借金をこしらえると両親の仲が悪くなるため、不景気を知る。
売れるものは全て父親が売ってしまった、借金をこしらえた父親は家に帰って来ない。
父親はいなくても、借金取りは必ず来る。
家のカギは壊れている、借金取りが壊したからだ、私が見ているところで。
カギを掛ける必要はない、家に盗まれて困るものは何もないのだから。
連日、同じ借金取りが来ると、幼い妹は借金取りに対して挨拶をするようになった。
幼い子供に挨拶をされると、借金取りは強く出られない。
借金取りは学校が休みの時にも来る、妹と挨拶をするようになった借金取りは私に「給食費は払えているのか?」と聞いて来た。
私、「払ってません」
借金取り、「学校が休みの日は、メシはどうしているんだ?」
私、「公園の水を飲みます」
借金取り、「妹達もか?」
私、「はい」
初めてケーキを食べたのは妹が3歳になった誕生日、ケーキをくれたのは借金取りのお兄さん。
町に活気が戻ると父親が帰って来た、暫くすると母親も帰って来た、すると、借金取りは来なくなった。
借金取りが来なくなったのは、両親が借金を返済したから。
再び家族揃って生活が出来るのは嬉しいのだが、妹だけはケーキをくれた借金取りのお兄さんが来なくなって寂しいと泣いた。