学生時代、特に専門学校や大学では奨学金を借りて学校へ行き、卒業後働き始めたら返済するという人も多いのではないでしょうか? 私の姉もその一人でした。 姉は医療系の専門学校へ行っていたため、単なる学費だけではなく教科書代なども高く、おまけに入学直後に両親が離婚したため、いわゆる苦学生で、奨学金を借りて、学費を払い生活費にも回しながら暮らしていました。 そんな姉も無事に就職し働き始めて少しした頃から奨学金を返済していたものの、やはり入職直後は給料も安く、規定通りに返済できていなかったようです。そんな時に、平たく言えば「裁判になります」という通知が届き、大慌てになりました。 もちろん、踏み逃げるつもりはなく、ただ毎日の生活に追われて、奨学金の返済どころではなかったというのが真実であるため、まず弁護士に相談に行きました。しかし、ここでもお金の壁が発生します。弁護士費用は、相談するだけでも支払わなければなりません。そのお金があるなら、奨学金を返済するよねと話したことを覚えています。そこで活用したのが法テラスでした。 法テラスの援助を受けて、弁護士費用はほぼ負担することなく裁判に入り、借りた奨学金は長期間にわたって少額ずつ返済できる判断がくだりました。 あのまま「今は払えない」と放置していたら、差押えや強制執行などが行われていたのだと思います。 規定通りに返済できれば何ら問題ありませんが、それが難しいときにはまずは、状況を把握して、適切に相談することの大切さを学びました。
住宅ローンと自宅の名義と借金について
親戚の話になりますが、私の家系は多子家族が多くかなりの大所帯です。すこし遠い親戚の話になりますが、三人娘のうち次女、三女は結婚して家を出ていました。城所さんだけが家に残っており、まあ家と言ってもアパートなのですが長女の旦那さんは末っ子のため婿に入ることになりました。長女は身体が弱かったのですが二人の子供を授かった後に体調を崩し亡くなってしまいました。ここまではよくある話なのですが結婚の際に親御さん名義で一軒家を建てていました。ただ旦那さんの収入がかなりよかったため実際は旦那さんがローン返済を行っていました。長女が亡くなりましたが家族仲は非常によく義理両親と旦那さん二人の子供で暮らしていました。そんななか義両親が相次いで病没しました。その状態でトラブルになったのが相続です。自宅が義父の名義になっていたため、次女、三女が自宅を売り払って金銭として相続したいと言い出しました。旦那さんは自分がローンを払って暮らしているのだから無効だと主張をしましたが、次女、三女以外にも親戚がいろいろと現れてきて次女、三女に加勢をしました。旦那さんは血縁が無いため、親戚中から総攻撃を受けました。ただ旦那さんはお人よしではないので弁護士を雇い弁護士同伴で親族と交渉を行いました。結論としてはローン返済中で全額旦那さんが払っていることが証明できたので次女、三女の主張は無効になり、義両親のいくばくかの預金のみが相続されることだけで手打ちになりました。次女、三女の恨みは根深く義両親からお金をだまし取ってローンを払った等のあることないことを近所中に言いふらしていました。名義問題は慎重にしないと骨肉の争いになるため怖いと感じました。
事業展開の失敗による破産
私の友人の話になりますが、友人の親御さんが地域でも良心的で有名な水回りの自営業を行っていました。非常に親切で工務店の下請けから、個人宅の水回りのトラブルに格安で対応していたため、評判の会社でした。ただバブルを経験していましたが何とか乗り切った矢先に世の中が多角展開というなの事業を広げるような動きになってきました。後で知った話ですが友人の会社の同業や商工会の会社がほぼほぼその流れに乗って騙されるように廃業をしていったようです。まったく違う業種への展開があったようで、土木の会社が急に飲食業に手を出したりしたようでほぼほぼ失敗していて儲かったのはリフォーム業者だけだったようです。しかもそのリフォーム会社も商工会のリフォーム会社ではなく全国チェーンのリフォーム会社だったようです。友人の会社もその流れに乗ってしまい、手を出したのが化粧品の販売の様です。当初は急に会社の看板の隣に化粧品の看板が並んだため不思議に思っていましたが多角経営の始まりがそれだったようです。廃業後に友人に聞いた話ですが、化粧品販売は受注後に購入ではなく購入後に販売をするようなスタイルでロットが大きいと単価が下がるため、大量に仕入れていたようです。ただその化粧品の単価は市販品の10倍程度で売れるわけもなく消費期限切れもおこすため廃棄品が増え、借金が増え化粧品の負債が膨れ上がり本業にも影響を出だし奥さんが化粧品の担当をしていたため夫婦げんかも耐えなくなり借金の挙句に倒産、離婚したようです。友人は一軒家から母親とともに市営住宅に引っ越し転校していきました。たまにテレビでも売れないラーメン屋を見つけて多額をつかってプロデュースするような番組を見ると誰がもうかっているんだろうと嫌な思いをします。
リボ払いの利息地獄
私の妻の話になりますが、家族クレジットカードを持っていました。家庭の家計管理をしたいと妻が申し出たため、すべての管理を任せました。それが大きな禍の始まりでした。つまは専業主婦で働いたことがなかったためいまいちお金の大事さがわかっていないような感じで、貯めるよりも使うことを重視しているため少々心配でした。ただ年齢とともにお金の大事さがわかってくれるだろうと思ったのが私の間違いでした。私が知らないところで無駄遣いが開始され高級品等を買わないためまったく気づかなかったのですがサブスク系のアプリに多額の課金をしていたようで、本人も途中から病的に課金が止まらなくなってしまったと言っています。私はリボ払いの恐ろしさを知っていたためカード会社から何度もリボ払いの設定を断っていましたが、カード会社が巧妙な手口で妻にリボ払いを開始されていました。カードのローン設定は上限が50万円になっていましたがリボ払いの上限は300万円になっていました。これも妻の借金が発覚した際にカード会社のオペレーターを追求した結果、ローンとリボ払いの上限は別ですという説明で発覚しました。その当時の借金額はカード2枚で600万円、貯蓄はすべて切り崩されて無くなっていたためほぼ打つ手がない状態でした。弁護士の無料相談に連絡をしたところ、何度も話をした結果、利息を下げることで返済することをすすめられました。当然ですが利息を下げた分の得た利益から弁護士費用を払うようなものでした。正直その当時はその費用ですら払う余力がなかったので何度も何度も話をしたところ、一括返済が最も効果的であるという話を引き出せました。一番効果的は話を一番最初にしない時点で無料弁護士に対する信頼は無くなったため、その足で双方の親に借金の申し出をするため土下座に行きました。双方で600万借りて一括返済をし現在は両親に対して返済を行っています。ご厚意で利息はなくしていただいているので半分ほど返済できている状況です。
クレカに溺れた友人
友人A子の羽振りが急に良くなったので、裕福な男性と付き合い始めたのかと思っていたら、クレジットカードを使っていたことが判明。元々大学の時に生協で作ったものを持っていたらしいのですが、怖くて使わなかったそうです。しかし最近では現金を使わない人も増えてきているため、試しに使ってみたら便利で使いすぎてしまったと聞きました。しかもカードを複数枚作り、支払いができなくなってリボ払いにしたり、消費者金融にまで手を出したり…完全に多重債務者になってしまったんです。 そして流石にもうどうにもならなくなりカードも止まってしまい、泣きながら相談を受けました。私もまさかここまでひどいとは思っていなかったので、びっくり。そこで、一緒にお金のことを見直してみることにしたんです。A子は自分がいくら借金をしているのか、毎月何にお金を使っているのか全然わかっていなかったので、家計簿をつけるところから始めました。A子は結構稼いでいる方だったので、月の手取りは若いのに25万以上。さらに社宅住まいで家賃も引かれた状態です。すごく恵まれている状態なのに、お金の使い方はめちゃくちゃでした。 残っているレシートやクレジットカードの履歴を計算しただけで、月に20万以上洋服を買っていた月もありびっくり。それからはまず家計簿をつけながら節約して、とにかく少しずつでも支払いをしていくことに。収入自体はあるのですが、これでは足りないので持っていたものは全てフリマアプリで売却。それから3年経ちますが、借金が減ったのはたったの2割程度。本当に恐ろしいです。
今日、1日をがんばる暮らし
今日、1日だけパチンコに行かないようにがんばる暮らし。 夫が、17年前から続けていることです。学生時代、先輩と行ったパチンコ。当時はスロット全盛期。ビギナーズラックもあり、どんどんハマっていった彼。私は、なんにも知らないで、ある日、郵便受けの中に、見たことない督促状、という通知を見つけます。現実を把握するのに時間がかかりました。当時、彼はまだ20代前半。100万円は大金です。実家には頼れない、という彼と、まだ若い私は、同棲することで、家賃を返済に回し、1年ちょっとで完済しました。ほっとしたのもつかの間。また、督促状がきたのが2年後でした。今度は200万。ばかな私は、まだ、ギャンブル依存症というものを知りません。泣いたり、怒ったり、相手を罵ったり。それでも、貯金を崩して、完済。そんなに、だらしない彼なのに、何を考えていたか、結婚し、娘が生まれました。娘が1歳のとき、また、督促状がきました。私は、子どもが生まれても、借金を繰り返す彼は病気だと思い、ようやく夫はギャンブル依存症、私は、共依存なのだという考えにいきつきました。それからは、互いに自助グループに参加し、自分を見つめ直したり、家庭裁判所で債務整理をしてもらったりする日々が始まりました。過去、完済したと思っていた借金は、実は残債があり、依存症の人はなぜか、一部隠す癖がある人が多いことを知りました。債務整理して、完済に3年かかりました。けれど、そこから、17年、ギャンブルをしない毎日をすごすことができているようです。私も彼のお世話だけをする人生ではなく、自分を大切に生きることができるようになりました。借金を返すことは大変で、当時は感情も不安定に陥っていましたが、振り返って考えれば、この借金問題があったからこそ、相手を支配したり、逆に依存したりすることがなくなりました。高すぎる授業料でしたが、今日も、1日をがんばりたいと思って暮らしています。
借金返済のために家計管理マシーンとなった話
20代のころ、一緒に音楽活動を行っていた相方が急遽引っ越ししなければならない事情があったり、同棲していた彼女の借金を肩代わりすることになったりで借金を背負っていました。
金額はそこまでたいしたものではないのですが、このままでは音楽活動もままならない、ということで僕が彼の通帳を預かり、家計を管理することになりました。
毎月、アルバイトの給与が振り込まれるとそこから音楽活動に必要な金額をそのまま預かり、借金返済の分割金額を支払い、彼の家賃や光熱費を支払い、そして余った金額を彼に渡す、というやり方です。
彼も最初はやはり自由に使える金額の少なさに驚いていましたが、逆に言えばそのくらい借金を返すのは大変なことだ、と気づいてくれたようでした。
音楽活動に使う金額はその月に余った分を半分貯金、半分は小遣いとして彼に渡していました。予定外の収入は彼にとってもうれしいようで、借金返済の励みになっていたようです。
かなり徹底して管理していたおかげで借金自体も半年ほどで完済し、通帳を彼に返却すると言いましたが、自分で持っていたらある分だけ使ってしまうから引き続き預かっていてほしい、と言われその後もしばらく彼の家計管理は僕の担当になっておりました。
自分で金銭の管理ができないという人は一定数います。大本の給与を管理できる人が預かり、物理的に無駄遣いや衝動買い、パチンコなどの遊戯に行けなくするのが借金返済の一番簡単な方法だと思いました。
母子家庭の母
私の実母の話です。未婚のシングルマザーとして私を女手ひとつで育ててくれたお母さん、小さい頃はわかりませんでしたが、シングルで子供を育てるには大変な苦労があったようでした。クレジットカードのキャッシング枠だけでは足りなくなると、クレジットカードの現金化と言う方法で手元に現金を作り、リボ払いの利息ばかりを払っていく…そんな泥沼に陥ってしまっていたようでした。高校に入る頃には子供ながらに家計の深刻さが目に見えてわかるようになり、アルバイトで稼いだお金を全て家計に入れていましたが、毎月足りたり足りなかったりを繰り返していたようです。そんな思いをしてまで私を育ててくれた母には大変感謝をしていますが、何か他の方法はなかったの?と悔しくも思います。
社会人になり、アルバイトの時よりも多く家にお金を入れられるようになりました。大体一月に10?15万は入れて居たのに…家計が楽になっている感じはまるでないのです。贅沢をしているわけではないのに。そんな頃母が体を壊し、職を失ってしまったため、一時的に…と私名義でカードのキャッシングをして欲しいと頼まれました。お母さんの頼みを断ることも出来ず、私名義の借金も増えてしまいました。地獄のような自転車操業の暮らしが何年か続きましたが、私が学生時代からの彼と結婚のため上京することになり、退職金で一旦借金はリセットすることができました。(娘にこれ以上心配をかけないようにそう言っただけかもしれませんが…)あの頃のお母さんがいくら借金をして、毎月どれだけの返済があったのか、具体的な数字は今までに聞いたことはありません。老いた今、どうかもうリボ払いに手を出さないよう祈るのみです。
夫のギャンブル依存で
今から6年ほど前、新婚だった夫の休日の行動が怪しく、問い詰めたところ朝から晩までパチンコ屋に通い詰めていました。私には「一日中漫画喫茶にいた。寝てしまって連絡に気がつかなかった。」などと嘘をついて…。この時点で愛想が尽きかけていましたが、薄給の主人がパチンコに使えるようなお金もなく、その金の出どころを更に問い詰めたところ、カードローン2社分(しかもそれぞれ満額)合わせて80万円借金があることが判明。嗚呼…当時のことを思い出しただけで動悸がしてきました。毎月雀の涙ほどの額をせっせと返しているようでしたが、何百年後に返し終わるつもりなのかわかりませんし、今後子供も欲しいのに…。将来のことも一気に不安になりました。まずは、借金をして、更に嘘をついてまでパチンコをし続ける精神状態は異常だと思い、主人を説き伏せて精神科を受診させました。やはり「病的賭博(ギャンブル依存症)」の診断がつき、主人も自分を客観視できたようです。カードローンへの返済は、本当は本人に払わせるべきでしたが、私の貯金と給与、ボーナスを使い、数ヶ月後になんとか返済…。なんと大学在学中にもらっていた奨学金も、パチンコにつぎ込んでいたということもわかりました。やっと借金を返したかと思ったら今後返していかなければならない奨学金も、パチンコで消えた金なのか…。怒りと虚無感に苛まれました。籍を入れる前に気づいていたら結婚していなかったかもしれません。しかしもう家族となってしまった以上、共に依存症と闘っていきます。その後は今日まで借金をしてパチンコをしたことはなく(パチンコ自体はたびたびしています…)、これで借金問題とはオサラバだといいなと思っています。
祖母の親戚の借金の返し方
私の祖母は人がいいというか、私からすると良すぎてイライラしてしまうような人です。そのため、過去には親戚に何百万円も貸したことがあるそうで、ある日それが祖母のきょうだいにバレてお金を借りた親戚は叱られたそうです。その借金をした親戚は、お金が入るとすぐに使ってしまう悪い癖があるようで、頼れる人がいれば誰とも限らずお金を貸してくれと言っていたとのこと。祖母はなんとか貸したお金を返してもらったようですが、その時のお金はその親戚の家族が貯金を繰り崩してできたものでした。その後、親戚は新事業を立ち上げて借金生活からは見事に足を洗ったそうです。詳しい起業内容は聞いていませんが、40歳から起業の勉強をしていたらしく、それが奇跡的に波の乗ったと聞きました。いろんな人に借金をするようないい加減な人が新事業を立ち上げるといっても、初期費用がかかるだけで成功しないのではと思った私にとっては、世の中そんなこともあるんだなという感想でした。しかし、言われてみれば勉強ができる人は大手企業に勤めるイメージがあり、あまり頭のおできがよくない人の方が起業するようなイメージがあります。新卒時点から大手に必要とされる人はあえて起業する必要も、そのリスクを負う必要もないのでしょう。その親戚はいろいろな人の借金をするようなある意味顔の広い人だったようで、その人脈の広さが起業の成功に導いたのだと言われていました。人騒がせな人です。