私の兄は借金が300万以上ありました。
借金の内容は、カードローンで4社ほどからそれぞれ約50〜100万ずつ借りていました。
お金がないのにもかかわらず、給料のほとんどを遊びに使っていたそうで、月々の返済はトータル2万円ほどしかなく、利子が膨らむばかりでした。
さらに、リボ払いを設定していたため、返済しても返済しても借金が減ることはありませんでした。
母と兄と私で家族会議を開き、借金の状況を整理(家族会議のきっかけは兄の素行が悪いことから話し合いをするため)
その場で借金の全額を知り、予想していたよりも額が大きいことに母と私は呆れるばかりでした。
兄は独身ですが、一人旅が好きで高速道路代やホテル代、風俗、キャバクラにつぎ込んでいたそうです。
お金がないのにもかかわらず、会社の後輩におごることも多々あったとのこと。
このままでは借金が減らないので、母や私に迷惑がかかっては困ると思い、借金一括返済を求めました。
そこで使ったのが2年前に亡くなった父の遺産。
兄は大金を目の前にすると人が変わってしまうとわかっていたので母は遺産が入った通帳を兄に渡していませんでした。
しかし、借金の額が大きすぎるため、遺産から払うことに私と母で決め、兄にも納得してもらいました。
父が残してくれた財産を借金返済に使うことに母は最後まで躊躇気味でしたが、全ての借金を清算して気持ちを楽にしてもらおうとなりました。
兄はそれぞれの会社の借金を一括返済し、リボ払いの設定もなくし、今はカードを使わない生活をしてもらっています。
私は参加していませんが、母と兄で定期的に話し合いをし、お金のやりくりを都度確認しあっているそうです。
兄には今後一切借金することのない生活を望んでいます。
気がついた時には借金が増えていた
ストレスからショッピングをすることがやめられなくなってしまい、最初は安いものでしたが徐々にブランド品を買わないと気が済まなくなっていき、給与には到底見合わないような買い物を繰り返すようになってしまいました。当たり前のことですがお金は足りなくなってしまい、お金を借りてまで買うようになりました。最初はすぐに借りた分を返済していましたが、足りなければ借りれば良いかという気軽な気持ちになっていき借りては少し返し、また借りての繰り返しで気がついた時には借金が膨らんでいました。いくら借りているのかわからなくなっていき、足りないならまた借りたら良いかという気持ちになり違うところからも借りてしまい、お金を返すために借りるという感じになっていきました。身近な人に相談するわけにもいかず、どうしたら良いか悩んでいた時に借金返済に関する相談が無料でできるところがあるとネットで見かけたので電話をかけました。親切な対応と記載されていましたが、実際に電話をかけてみるとかなり高圧的な雰囲気が電話越しにも伝わってきて、ここには相談できないと思ったのですぐに切りました。そんな私の変化に気がついた母親が何かあるのではないかと聞いてきたので、もう隠せないと思い借金があると正直に伝えました。最初はかなりびっくりしていたようでしたが、話をしたらわかってくれてお金を2度と借りないという約束を条件に、私の代わりに借金を返してくれました。本当に迷惑をかけたし、もう2度と借りないでおこうと誓いました。
若い頃
若い頃は兎に角趣味に遊びにお金を使い宵越しの銭は持たない主義であり、当然貯金というものもなかった。当時は車にはまり、その車も貯金なんてものはなかったのでローンで購入していた。車も見た目が大事と思い、車高調やホイールなど様々な高価なものを取付けて乗っている。しかもそのお金は当時覚えてしまったカードで購入しており、当然一括支払いで買うほど良い資金はなかったので分割をしていた。その他、誘われればゴルフやお酒を飲みにもいっており、車のローンとカードの支払いが毎月10万を超えていた。当時は夜勤ており、何とかやりくりしていたが、夜勤が無くなって昼間勤務になってからは大変な目に。毎月の支払額を払ってしまうとほぼ無くなってしまい、タバコ代やガソリン代が支払えなくなってしまった。その時は最大で16万ほど毎月払っていた。当然このままでは払えることはできず、まずは不必要なものを売却して資金を作り、実家に頭を下げてお昼ご飯と住むところを提供してもらい、かなりの貧乏生活を約2年ほど過ごした。それ以降はカードを解約して現金払いを徹底して仕事では進んで残業を行い、お昼は親に弁当を作ってもらいながら生活をしていた。その甲斐あって2年で借金のほとんどを返済してそれからカードを再度作ったが財布には入れず親に預け、少しずつでも貯金をするようにして生活の基盤の再構築を行った。当時借金のために他から借金しなかったのが良かったと思っている。今は結婚して子供いるため、自分の子供にはお金の勉強を小さい頃からさせて、将来のためになってもらい、自分と同じような目にならないように切に願う。
義理の兄の借金。
義理の兄は建設用木材の卸と輸送の会社を経営していて、数年前のある時までとても羽振り良さそうにしていました。数年前、義父が仕事をリタイアすることになり、義兄は義両親を近くに済ませて、もしも足腰が悪くなったり生活に不自由なことが出てきたら義姉にお世話をしてもらうつもりでいました。義兄の家は最初から義父母に将来的に暮らしてもらうために部屋数を多く作っていたそうなのですが、いざリタイアというときになって同居を義父が拒否。義兄は義両親とどうしても近くに暮らしたいため、義兄家族の家の近所に小さい中古マンションを買うことにしました。私はその時点では普段から羽振りのいい義兄なので、小さいマンションくらいどうってことないんだろうと思っていましたが、なんと中古マンションの購入費用を貸してもらえないかと私の妻にこっそり連絡が。どうしていつもあんなに羽振りがいいのに妹に借金をお願いするんだろうと、私の気持ちは一気に不安になりました。その時ちょうど我が家には定期預金に入れてあった1500万ほどがあったので、ちょうど義兄が貸してほしいと言っているのとほぼ同じ額の生活費とは関係ないお金があったのですが、妻から私に相談が会ったときに、義兄一家の家計の状況をしっかり教えてもらえたら貸してもいいと思うと返事しました。すると、表面上は羽振りのいい生活をしていた義兄ですが、事業では新規のトラック購入などで借金が増えていて、家庭では義姉と家計の話し合いがうまくできておらず、毎月トントンか赤字で生活していたとのこと。義兄にはさらに住宅ローンも残っています。最終的には、義兄義姉に支出を見直して余裕資金を作れる地道な生活をしてもらうよう話し合いをし、お金を貸すことにしました。義兄からは住宅ローンと同じ金利をつけて返済させてほしいと申し出があったので、そうしたいならそうしてくれと返事して貸しました。数年前の話しで、まだ返済してもらっている途中です。
人生最大のピンチ!借金問題のリアル
私が陥ったのは、複数の消費者金融からの借り入れが重なり、返済が困難になるという、いわゆる多重債務の状態でした。きっかけは、趣味のオンラインゲームの高額課金でした。最初は軽い気持ちで始めたのですが、次第にのめり込み、生活費を削ってまで課金するようになってしまいました。生活費が足りなくなると、手軽に借りられる消費者金融に手を出してしまい、その繰り返しで借金は雪だるま式に膨らんでいきました。
借金の種類は、主に消費者金融のカードローンでした。審査が比較的緩く、すぐに借りられるのが魅力でしたが、金利が高いのが難点です。最初は「すぐに返せる」と思っていましたが、毎月の返済額は利息ばかりで、元金がなかなか減っていかないことに気づきました。焦って別の消費者金融から借りて返済に充てるという、典型的な状態に陥ってしまいました。
このままではまずいと思い、インターネットで借金問題について調べ始めました。そこで初めて、「債務整理」という言葉を知りました。
いくつかの法律事務所に相談した結果、任意整理が最も現実的な選択肢であることが分かりました。弁護士に依頼し、債権者との交渉を進めてもらった結果、利息のカットに成功し、毎月の返済額を大幅に減らすことができました。
この経験を通して、借金問題は誰にでも起こりうる身近な問題であることを改めて認識しました。もし、借金で悩んでいる方がいたら、一人で悩まずに、専門家に相談することをおすすめします。早めに相談することで、解決策が見つかる可能性が高まります。また、安易な借り入れは避け、計画的なお金の使い方を心がけることが大切です。
借金問題からの脱却への道
私が借金問題に直面したのは、若い頃の無計画な生活が原因でした。最初は小さなクレジットカードの支払いが遅れ、次第に利息が膨れ上がり、借金は次々に増えていきました。最初の頃は、生活費を借りる感覚で利用していたのですが、次第にそれが習慣になり、返済が追いつかない状態に陥りました。
その時、初めて借金が自分の手に負えなくなっていることを実感しました。何度も支払いを延ばしてはそのまま忘れ、また別の借金を重ねていったのです。その結果、最終的には複数の金融機関からの借入が重なり、月々の支払いは家計を圧迫し、生活に大きな支障をきたすようになりました。
借金が膨らんでいく中で、私はどんどん精神的に追い詰められ、家族や友人にも相談できない状態に。ある日、ついに返済の目処が立たないことに気づき、これ以上はまずいと思い、専門家に相談することを決意しました。私は弁護士に相談し、債務整理をすることに決めました。最初はとても不安でしたが、弁護士に自分の状況を話し、どのような方法が最適かを見つけることで、少しずつ希望が見えてきました。
その後、債務整理を進める中で、無理な返済計画を立てなくても済むようになり、生活は少しずつ楽になっていきました。最も印象的だったのは、弁護士が提示してくれた「個別の返済計画」の提案でした。無理なく支払える金額で調整してもらい、精神的にも大きな安心感を得ることができました。
借金問題を解決するためには、まず自分がどんな状況にあるのかをきちんと把握し、専門家に相談することが大切だと学びました。最終的に借金は返済し終わり、今では健全な経済状態を維持できています。この経験を通じて、私は借金をしないよう、そして返済計画をきちんと立てる大切さを実感しました。
奨学金の返済が滞って裁判になった!!
学生時代、特に専門学校や大学では奨学金を借りて学校へ行き、卒業後働き始めたら返済するという人も多いのではないでしょうか? 私の姉もその一人でした。 姉は医療系の専門学校へ行っていたため、単なる学費だけではなく教科書代なども高く、おまけに入学直後に両親が離婚したため、いわゆる苦学生で、奨学金を借りて、学費を払い生活費にも回しながら暮らしていました。 そんな姉も無事に就職し働き始めて少しした頃から奨学金を返済していたものの、やはり入職直後は給料も安く、規定通りに返済できていなかったようです。そんな時に、平たく言えば「裁判になります」という通知が届き、大慌てになりました。 もちろん、踏み逃げるつもりはなく、ただ毎日の生活に追われて、奨学金の返済どころではなかったというのが真実であるため、まず弁護士に相談に行きました。しかし、ここでもお金の壁が発生します。弁護士費用は、相談するだけでも支払わなければなりません。そのお金があるなら、奨学金を返済するよねと話したことを覚えています。そこで活用したのが法テラスでした。 法テラスの援助を受けて、弁護士費用はほぼ負担することなく裁判に入り、借りた奨学金は長期間にわたって少額ずつ返済できる判断がくだりました。 あのまま「今は払えない」と放置していたら、差押えや強制執行などが行われていたのだと思います。 規定通りに返済できれば何ら問題ありませんが、それが難しいときにはまずは、状況を把握して、適切に相談することの大切さを学びました。
住宅ローンと自宅の名義と借金について
親戚の話になりますが、私の家系は多子家族が多くかなりの大所帯です。すこし遠い親戚の話になりますが、三人娘のうち次女、三女は結婚して家を出ていました。城所さんだけが家に残っており、まあ家と言ってもアパートなのですが長女の旦那さんは末っ子のため婿に入ることになりました。長女は身体が弱かったのですが二人の子供を授かった後に体調を崩し亡くなってしまいました。ここまではよくある話なのですが結婚の際に親御さん名義で一軒家を建てていました。ただ旦那さんの収入がかなりよかったため実際は旦那さんがローン返済を行っていました。長女が亡くなりましたが家族仲は非常によく義理両親と旦那さん二人の子供で暮らしていました。そんななか義両親が相次いで病没しました。その状態でトラブルになったのが相続です。自宅が義父の名義になっていたため、次女、三女が自宅を売り払って金銭として相続したいと言い出しました。旦那さんは自分がローンを払って暮らしているのだから無効だと主張をしましたが、次女、三女以外にも親戚がいろいろと現れてきて次女、三女に加勢をしました。旦那さんは血縁が無いため、親戚中から総攻撃を受けました。ただ旦那さんはお人よしではないので弁護士を雇い弁護士同伴で親族と交渉を行いました。結論としてはローン返済中で全額旦那さんが払っていることが証明できたので次女、三女の主張は無効になり、義両親のいくばくかの預金のみが相続されることだけで手打ちになりました。次女、三女の恨みは根深く義両親からお金をだまし取ってローンを払った等のあることないことを近所中に言いふらしていました。名義問題は慎重にしないと骨肉の争いになるため怖いと感じました。
事業展開の失敗による破産
私の友人の話になりますが、友人の親御さんが地域でも良心的で有名な水回りの自営業を行っていました。非常に親切で工務店の下請けから、個人宅の水回りのトラブルに格安で対応していたため、評判の会社でした。ただバブルを経験していましたが何とか乗り切った矢先に世の中が多角展開というなの事業を広げるような動きになってきました。後で知った話ですが友人の会社の同業や商工会の会社がほぼほぼその流れに乗って騙されるように廃業をしていったようです。まったく違う業種への展開があったようで、土木の会社が急に飲食業に手を出したりしたようでほぼほぼ失敗していて儲かったのはリフォーム業者だけだったようです。しかもそのリフォーム会社も商工会のリフォーム会社ではなく全国チェーンのリフォーム会社だったようです。友人の会社もその流れに乗ってしまい、手を出したのが化粧品の販売の様です。当初は急に会社の看板の隣に化粧品の看板が並んだため不思議に思っていましたが多角経営の始まりがそれだったようです。廃業後に友人に聞いた話ですが、化粧品販売は受注後に購入ではなく購入後に販売をするようなスタイルでロットが大きいと単価が下がるため、大量に仕入れていたようです。ただその化粧品の単価は市販品の10倍程度で売れるわけもなく消費期限切れもおこすため廃棄品が増え、借金が増え化粧品の負債が膨れ上がり本業にも影響を出だし奥さんが化粧品の担当をしていたため夫婦げんかも耐えなくなり借金の挙句に倒産、離婚したようです。友人は一軒家から母親とともに市営住宅に引っ越し転校していきました。たまにテレビでも売れないラーメン屋を見つけて多額をつかってプロデュースするような番組を見ると誰がもうかっているんだろうと嫌な思いをします。
リボ払いの利息地獄
私の妻の話になりますが、家族クレジットカードを持っていました。家庭の家計管理をしたいと妻が申し出たため、すべての管理を任せました。それが大きな禍の始まりでした。つまは専業主婦で働いたことがなかったためいまいちお金の大事さがわかっていないような感じで、貯めるよりも使うことを重視しているため少々心配でした。ただ年齢とともにお金の大事さがわかってくれるだろうと思ったのが私の間違いでした。私が知らないところで無駄遣いが開始され高級品等を買わないためまったく気づかなかったのですがサブスク系のアプリに多額の課金をしていたようで、本人も途中から病的に課金が止まらなくなってしまったと言っています。私はリボ払いの恐ろしさを知っていたためカード会社から何度もリボ払いの設定を断っていましたが、カード会社が巧妙な手口で妻にリボ払いを開始されていました。カードのローン設定は上限が50万円になっていましたがリボ払いの上限は300万円になっていました。これも妻の借金が発覚した際にカード会社のオペレーターを追求した結果、ローンとリボ払いの上限は別ですという説明で発覚しました。その当時の借金額はカード2枚で600万円、貯蓄はすべて切り崩されて無くなっていたためほぼ打つ手がない状態でした。弁護士の無料相談に連絡をしたところ、何度も話をした結果、利息を下げることで返済することをすすめられました。当然ですが利息を下げた分の得た利益から弁護士費用を払うようなものでした。正直その当時はその費用ですら払う余力がなかったので何度も何度も話をしたところ、一括返済が最も効果的であるという話を引き出せました。一番効果的は話を一番最初にしない時点で無料弁護士に対する信頼は無くなったため、その足で双方の親に借金の申し出をするため土下座に行きました。双方で600万借りて一括返済をし現在は両親に対して返済を行っています。ご厚意で利息はなくしていただいているので半分ほど返済できている状況です。